夫に自分の気持ちを伝えることって、案外ハードルが低いのかもしれない
いつも使っているお気に入りの香り。スプレー液が切れたのでしばらく香りとは遠ざかっていたのですが、昨日久々に使ってみました。
そうすると、朝起きがけにまたふっと思いつくことがあって、スマホのメモ帳に忘れないうちに入力!
していたら、
夫「もう少しゆっくり寝ていてもいいよ」
わー 忘れるからやめて!話しかけないで!
その場では、「ちょっとごめん、メモしているから」ってさえぎりました。
で、朝食時
私「寝起きにスマホにメモ入力していることがあるから、その時は話しかけないでね」
夫「ごめん。ゆっくり寝てほしかったから」
私「ありがとうね。でも謝ってほしいわけじゃないからそれはいいんだ」
てな具合で、穏やかに、伝えたいことが伝えられました。
これ、「スマホにメモってることぐらい、見ればわかるでしょ!なんで邪魔するのよ!!」etcetcで言い合いとかケンカとかになってしまうことってあると思うんです。
ウチは夫婦とも目が悪いので、そういうのは気が付かないこともままある。
こんな小さなことでも、言わないと伝わらないことってたくさんあって、
これが全部積もり積もったら、それは大変なことになるよね。言っているうちにだんだん慣れてきて、力まずに言えるようになります。
その場その場で伝えていけば案外すんなり通って、ストレスもかかりません。なんで今まで言わなかったんだろう。もっと早く気が付けばよかったです。
「神社ミッション」じゃなくて「親とか親戚ミッション」
神社ミッションというのはやったことがないのですが、数年前から親とか親戚に「自分にしたらちょっと多いかな?」という額を渡すということをやっています。
↓ 神社ミッションについてはこちら。
親とか親戚ミッション
最初は、私にまとまった額の臨時収入があったとき、ゲン担ぎで母にお年玉として7万円を渡しました。
ゲン担ぎなので、その時どんなことを感じるかをあまり意識しなかったのですが、相手は母ですから感謝の気持ちを込めました。
子供たち(母からすれば孫)をいつも気にかけてくれていたからです。
その後は無理のない範囲で5万円にしています。
渡した分のいくらかは、孫へのお年玉になったかもしれず、あまり意味はなかったのかもしれません。
親以外の親戚の時は、それほど行き来もないせいか、ご利益を期待しないのは神社ミッションみたいなものかもしれません。「神社という場所の雰囲気を経験する」といった点はありませんが。
甥っ子や姪っ子へのおこづかいなどは、高校生以上になるともう万円単位なので、出す段になると出費の痛みでチクッとします。
ただ移動の交通費もバカにならないし、発表会などではお祝いの意味もあるので割とすんなり渡しています。
複雑な思いの冠婚葬祭
ちょっと複雑なのは、冠婚葬祭のご祝儀や不祝儀。これは予算も取ってあるので一番すんなり出せるものでもあるのですが、必ずネットで相場を調べた上で、親族間での決め事を確認します。
冠婚葬祭では、ダンナ様に恥をかかせてはいけないというのもありますが、最近機会もあったのでじっくり考えてみたところ、
「ケチだと思われたくない」
っていう気持ちが出てきました。これって、「自分はケチだと思っている」ってことじゃないですか。自分ではそう思ってたんだ~ へ~
ついこの間まで、自分のためには使えなかった
あと、今年になってから自分のためにお金を使うようにしてきたんですが、それまではやっぱりどこかに「自分にはそんなに使っていないのに」っていう思いもあったみたいです。
「自分で好きに使うために働きたい」と言ったとき、夫とモメて多少こじれたこともあります。
どうして使えないか考えてみたら、「稼いでないから」。これって「稼いでない私には価値がない」ってことで、この考えは即改めました。
もしかしたらモメた時も、夫ではなく自分に「もっと使うように許可する」ことが先だったかもしれません。その時はそんなこと思いもしませんでした。
今では自分のお金も使うし、おこづかいはありがたく受け取るので、そういう点では以前よりお金をすんなりやり取りできるようになった気がします。
気持ちがザワザワするときは思い込みを見直す機会
よく、「お金持ちは寄付をしているから真似したほうがいいよ」とか、「親にお小遣いを上げるといいよ」(← まさに私はコレ)ってありますが、なーんにも考えずにやるのではなくて、「その時何をどう感じるか」に気を付けて、自分の思い込みを考え直すのが大事だったんですねえ。
気持ちよく出せない理由の一つは、見返りがないところに(見返りを期待して出すのがそもそもがめついですね)出すことがありますが、人間ではない神様(神社)にはたとえご利益がなくても「神様だから」出しやすいのかもしれません。
親や親戚へお金を渡すことにも、いろいろ感じる点があったというお話でした。
自分の気持ちから目を逸らさないことが、こんなに大事だったなんて!
昨日、こちらのセミナーに行ってきました。
【満席】7/28 東京八重洲「宇宙レベルで人生の設定変更❤︎」単発セミナー|藤本さきこオフィシャルblog❤︎女性性開花のお店petite la' deux☆女性のハッピーを本質から応援します♪
自分のために使うお金としてはまとまった額でしたが、今は「気になったところにはお金を使う」と決めているので、思い切って申し込みました。著者の方の大ファンというよりは、「なんだか気になる存在」。その時はあれこれ迷ってました。
こちらの本や、
著者ご本人のブログを読んでみても、わからないなーというところがあったので、何かヒントが見つかるかもしれないという期待もありました。
わかったこと!
セミナー中、たくさんの方が質問していたのですが、私はわからないところがあるのに、ちゃんと言葉にできなくてその場は聞いていて終わりました。
で、寝る前になってふっと「あ、もしかしたらこうかも!」って気が付きました。
- ご本人が、設定変更(自分の思い込み)を変えるきっかけは、納得できない現状だったこと。
- 将来幸せであるためには、今現在が幸せであると感じること。
1.の納得できない現状は、まだ収入が少ないころのボロボロの家などのことで、「これって幸せじゃないってことだよね」「古い=アンティーク調で可愛い」って自分をごまかしている場合じゃないんだよね?
このあたりがつながらないなあと思っていたのですが、
3. 「ガムシロップ入りのカフェラテ」(P.156)について、
「ま、いっか。150円くらい。もう一回買えば」でも
「まぁ、たまにはシロップありもいいよね。甘くていいわ」でも
お金は循環せず、貧乏の感覚になっていくということ。
のところで質問があってその回答が、
結局は、甘いカフェラテが飲めないので買いなおしたのですが、
1回目:甘くてガッカリ!気分転換できない!
2回目:美味しい!
で、得られた感情は2倍になるんです
ってところで納得できました。
自分にとって、マイナスの感情(ボロい家はイヤ!とか、好みじゃない甘いカフェラテはイヤ!)もちゃんとごまかさずに感じるのが「幸せ」だということ。
「悲しい」「苦しい」「不安」「恐怖」…などのマイナスの感情も、同じ「魂の喜び」なんだというのは、セミナー冒頭でお話がありましたので、
「これかっ!」
違ってたらどうしよう… たぶん軌道修正することが起きる かな?
たとえ自分にとって不都合なことであっても、ごまかさずに感じる=幸せなのかなと。
変わってきた私の現状
1年ぐらい前の状況。
その後さらにトラブル?が増えました(どれだけだよ)。どんどん状況が好転してきていますが、まだ全部揃っていないのでそのうち書く予定。
他人のことはよく見える
なんだか失敗を過剰に避けようとしている人が多いのかなあと感じましたが、私だって行動できずにうじうじしているのは同じ。人のことってよくわかるんですね。自分のことは棚に上げまくっている。
あと、”節約で満足するってどういうことか”のお話は、ライブで聞けてよかったです。他にもいろいろあるのですが、今回はここまで。
青戸真穂さんのブログをきっかけに、藤本さきこさんを知りましたが、お二人のおかげで解決したことがたくさんあります。それについてはまた記事にする予定です。
このようなセミナーを開催していただき、ありがとうございました。
開き直ったら、外出が少しラクに思えた件
私の開き直りって、ダメなところも含めて自分だってわかった時なんですが、
先日、久々に以前参加していた勉強会に出席してきました。
以前だったら、仕事関係の近況報告なども、「進捗なし」を報告するのがカッコ悪いなー行きたくないなーだったんですが、
今回は、自分の考え方がガラッと変わったことについてお話してきました。
10分くらいお話ししたので、伝わったかどうかはわからないです。
勉強会の目的とはズレていましたが、全く関係ないこともない事柄なので。
本当に前と違うなあと思ったのは、疲れ方が全然違ったこと。
「みんなと違って、ちっとも前進していないなあ」「みんな着実に仕事ができてすごいなあ」「私は外出するだけで疲れてそれ以上のことができないのになあ」
とか、自分責めの嵐だったのが、全然そっちに神経が行かなかったこと。もう「できない私はこうです」ってただ出席してきただけ。だから、行って帰ってきてそれだけ。
うん、疲れなかった。
ここからどうするかは、自分で決めなきゃいけないんですが、未だにテンションが低い。低すぎ。自分でこれ!っていう感覚がないです。
こういうときって、つい解決のための情報探しをしてしまうんですが、そうではなくて、自分に「どうしたいの?」って聞いてみることにします。
きっちり男性脳。
父が毎月治療のために短期入院をしているのですが、相変わらず予定を繰り上げて退院したがっているらしいです。
で、その度に母からウチに電話がかかってきて、「また予定前に退院するって言ってる…」と言うわけです。
で、こっちもなんで毎回同じことを繰り返すんだろう?という気持ちもあって、
「病院に確認取った?予定外のことには対応できなくたって仕方ないんだからね!」
と言うと、どうもただ聞いてほしかっただけらしい。しまった、そうか。
それでも、こちらとしても毎度毎度「嫌だ嫌だ」と言いながら、父に振り回されている母の態度は全然理解できない。否定もしないけど。好きでやっているのならグチにはならないだろうし、イヤなら自分でそう言えばいいのに。何でだろう。
私は何か言ってこられると、状況とかからすぐ「こうすれば解決する」「こうすればラクになる」方法は何かないか考え始めるんだけど、それって男性の反応らしい。
地図を見るのも割と平気。
もっと女性らしく、世間話を楽しもうってことなのかもしれないけれど、「もっと楽しいことを話そうよ」って言ってみようか。怒られるんだろうか。
「学ぶこと」をやめている割には、情報がはいっていること。家族の状況がよくなっていること。
今日、半年ぶりくらいで所属グループの勉強会に出席してきました。
テーマがFinTechだったのですが、関連書籍もなーんにも読んでなくてついていけるかなあと不安だったのですが、
twitterでブロガーさんたちをフォローしているおかげで、サービスの現状くらいはなんとか把握できていてまあよかったです。
気が向いたら本を読みますが、今は棚上げしておきます。
絶賛就活中の子について。
面接嫌いでどうしようもなかったのですが、最近では「いろいろな企業や、そこで働いている人(面接官ですが)がどういう人なのかを比較できるいい機会だと思う」と前向きになっているようです。
既卒~療養を含めたブランク期間とその間にやっていたこと(健康管理や資格の勉強など)、志望理由を自分の言葉で話せるようになったのが自信?の元になっているのかも。
私が自分にOKを出し、ダンナ様の気持ちを素直に受け取るようになった時とタイミングが合いすぎているのは偶然なのかどうか、
面接では今までになく丁寧な対応をされたようで、「ほとんど圧迫面接」「まともに話を聞いてもらえない面接」とは天と地ほどに違うと就活中の本人が驚いた様子でした。
そろそろ子離れも最終段階。食事・掃除・洗濯など身に付けることで、自分の健康管理ができるようになったらひと安心です。
目の前の状況が変わるのは自分次第なのかもしれない
昨日、いきなりダンナ様が「映画見に行こう。『忍びの国』が見たい!」と言うので、行ってきました。
前に別の映画を見に行った時の予告編で、「気になるねー」と二人で言っていたものです。
戦国時代の伊賀上野が舞台のお話。
虎狼の輩(人の心を持たない)であった主人公のラストが気になったので、原作を読みたくなりました。
上映がお昼を少し過ぎた頃なので、出かけた先で事前にお昼ご飯を食べようということになったのですが。
ランチをご馳走してくれました。ふふふ。
「そんなに自分でランチ代を払うのが嫌なのかよ!」ってことではなくて、自分で出す気が無いのに家計費でホイホイ外食するような夫がイヤだったんです。
なんか格好悪いというか、「私のダンナ様はもっとステキだったはず」というか、もしかしたら「妻の自分がそれに見合うような情けないことになっているのでは」という証拠のような気がしてですね。
そしたら、やっぱり目の前のことに不満ばかり抱いて、自分からは何もせず、しかも豊かさを受け取れない自分がいるわけです。恥ずかしい…
そこで、
- 目の前に起こったことの価値をちゃんと意識する(受け取る)
- 自分の気持ち(こういう時はこうして欲しい等)を相手に伝える
はい、今回はラーメンでしたが大変美味しくいただきました。映画も楽しかった!
それで、いちばんジーンときたのは、
「今日、いきなり映画に行こうって言ったのに、デートしてくれてありがとう」(≧▽≦)と言われたことですよ、奥さん。
まだまだ言いたいことを伝えきれていないし、感謝の言葉だってたくさん伝えたいし。
これって、「相手に気に入られたいから・相手を都合のいいように動かしたいから表面的にキレイなことを言う」ってこととは全然違う。
ひとつ学習した!うん。