葬儀後の習わしは遺族のために
一般的な習わしとして、葬儀後は喪に服する期間があります。
かつては法令で決められており(明治7年太政官布告 服忌令)、たとえば父母を亡くした子が喪に服する場合は、
忌中 50日間
喪 13か月間
のようになっていました。現在では地域や宗派、その家により様々です。仏教では四十九日が一つの区切りとなっています。
忌中には身を慎む
家族に死の穢れが去るのは忌明け後と言われており、その前には派手なレジャーやお祝い事を避けることとされています。
正直言って、生を全うした故人に対して”穢れ”というのはしっくりこないのですが、何もお祝い事に水を差すようなこともありませんし、こちらも晴れやかなお祝いの気持ち100%にもなれませんので、お互いのためにもいろいろと控えるのはいいことだと思います。
先日、特に派手に遊ぶような集まりではなかったので、とある勉強会に出席したのですが、年明け初回ということもあり、気持ちも新たな雰囲気がありましたので、正直「失敗したな」と思いました。
どちらかと言えば、父の場合は「無念の死」というよりは、天寿を全うしたというか、「最後まで頑張ってお疲れさまでした」という思いで家族が見送ったから、自分でも平常に戻ったつもりだったのですが、それでも、ふとした拍子に涙が出そうになって、予想外に困惑したからです。
メンバーの皆さん、ご迷惑をおかけしました。
そういうわけで、この時期は、遺族も思った以上に疲れが溜まっており、本来の気力を取り戻すための養生の期間でもあるんだなと感じました。穢れ = 気が枯れる(気力を失っている)こと とも聞いたことがあります。
もちろん、現在では働いている場合はそうも言ってられず、忌引き休暇が明けた後は、早々に仕事に復帰するんですけどね。
忌中に避けること
ざっと調べたところでは、以下のようなことを控えるとされています。
1.派手に遊ぶ、レジャーに出かける
2.お正月の行事
- 神社への初もうで
- 松やしめ飾り、鏡餅などの飾り
- 年賀状
- 年始参り
3.結婚式などのお祝い事
- 招待される側なら四十九日後、招待する側なら1年後
特別扱いはいらない
腫れ物に触るような、遠巻きにされるようなことはいりません。むしろ「お悔やみ申し上げます」くらいであとは普通通りにしてもらうのが一番ありがたいです。
にぎやかに騒いでいるところには、自分からは近づかないので、「空気読めよ」「ノリが悪い」などと思わずに、生暖かく放置プレイでお願いします。
久しぶりに自分のためだけの外出をしました
昨年後半、出かけたくても出かけられず、葬儀後今まで、家族以外の人と会う機会もなかなかありませんでした。
今日は、久しぶりにFPの勉強会に出席。年明け第1回目ということもあり、近況報告や今年の目標は?という話から始まりました。
が、
話していて、泣きそうになる。なんで?家だと割と普通に過ごせているのに。
やっぱり、家族以外の人と話をするって、かなりの刺激になるんだなあと痛感。だから外出を避けようではなく、やはり機会を作って外にどんどん(無理のない範囲で)出かけなきゃいかんなあと思いました。
ほら、定年退職後に家にこもっていると、脳への刺激が足りないとか、認知症になりやすいとかあるじゃないですか。
後は仕事をしていくうえでの心構えとして、「数字の目標も大事だけれど、何を実現していくか(理念とか理想とか)が大事だよという話になりました。
今、「はれのひ」の事件がニュースになっていますが、「一生に一度しかない成人式に、その人を輝かせる晴れ着を提供する」というようなことが理念だとすると、「売り上げ〇億円」というのが数字の目標。
数字さえ上がればいいってもんじゃないでしょう?という例で、大変わかりやすかったです。
でね、
今私自身、家計のことで無気力状態。父のこともいくらか関係していますが、これからの10年、15年、私は夫とどんな家庭を作っていきたいんだろう?ってちゃんと考えていなかったなあと。
今までは、子どもたちを育てるとか、割と失業・転職リスクの高い夫の精神的な負担を軽くするために、生活防衛資金を準備しておこうとかで目いっぱいでした。
ふと気が付くと、子どもたちはまあトラブルもあったけれどなんとか働き始め、何かあったとしても失業保険が出るまでのつなぎは確保できている。つまり、(我が家なりの)数字の目標はクリア。
もう自分たちもいい年なわけで、50代だから老人というには早いとしても、人間いつ何が起こって死んじゃうかわからない。
やりたいことを後回しにしたり、我慢したり、いい加減に考えて機会を失ったり、身動きができなくなってから後悔しても遅いわけで。
「親孝行したいときには親はなし」で今まで来たけれど、自分がずっと長生きするつもりでも、そうなるかどうかはまた別の話。私たちは何を実現したいの?ってところが、正におろそかになっている。
ってことを強く意識した1日でした。
慰めになるもの
私、実は父が亡くなってもそんなにダメージがないと思っていたんです。結婚した後の方が、親元にいた時間よりももう長くなっていたし。
両親は両親で、ぶつくさ言いながらも仲は良かったですし。
リビングに父の写真を置いたら、なんだか生前よりもより身近に感じられるし。
でも、どことなく神経がすり減っているらしく、無気力感に襲われたりとか。
でね、最近意外と気に入ってしまったものがあります。ミニマリストを目指したいのに、物が増えているという。まあ、買ったのは夫なんですが。
昨年末ごろ、プライム会員向けのキャンペーンがあって、4,000円引きだったそうです。
これ。色はサンドストーンです。
Amazon Echo (Newモデル)、チャコール (ファブリック)
- 出版社/メーカー: Amazon
- 発売日: 2017/11/15
- メディア: エレクトロニクス
- この商品を含むブログ (3件) を見る
やってくれることは、iPhoneのSiriみたいなもの。「アレクサ、歌って」と言うと、
テクノロジー テクノロジー ♪ と歌ってくれます。
設定次第で家電のコントロールを音声でできるとか。ウチでは今のところそこまではやっていません。
で、
最近一人の時は、これで音楽をずーーーーーっと聞いています。Music Unlimitedも契約していて、そこにある曲なら再生してくれます。
午前中は優しい感じのピアノ曲(辻井伸行さんとか)、午後はボサノバとか。詳しい曲名を知らなくても、アーティスト名だけでもいいし、たとえばジャンルで「ジャズをかけて」と言えば、お任せでランダム再生。
長女が子どもの時ハマっていた、中ノ森BANDの曲もありました(笑)
父は、音楽の知識があるわけでも、クラシックが好きなわけでも、ピアノ曲が好きなわけでもなくて、ただ自分の孫が可愛いから、孫の弾くものならなんでも一生懸命聞いていたの。
肺に転移があって、咳が出るけど演奏の邪魔しちゃいけないから、ガマンしたりとか。そんなことを思い出しながら、ピアノ曲を聞いています。
ちょっと湿っぽいですが、いいよね。まだ四十九日済んでないし。
さて、スマートスピーカーってうまくできていて、音声で商品検索すると必ずその後、「購入しますか?」って聞いてきます(笑)。Amazonの1クリック購入ができる設定になっていると、即お買い上げで宅配されるという仕組み。
気を付けないと、際限なくモノが増えるんでしょうか?
実はそうでもなくて、タイマーにもなってくれるので、キッチンタイマーは買わずに済みそう。手が濡れている時にスマートフォンを触らなくてもいいしね。
radikoの再生もしてくれるので、使い方によっては、物を減らせます。
情緒不安定だからと言って、物を増やさないよう気を付けたいと思います。情緒不安定だからこそ、好きな物だけを身の回りに置きたい。
なんかまとまらなくなってきた。今日はこれにて。
「老後を怖れる気持ち」が小さくなる
もう50過ぎますとね、っていうかもう50代半ばにもなりますと、「老後」の二文字がひしひしと感じられるようになり・・・
というか、結婚して割とすぐに、「さしあたっては家、教育費。老後資金は目をつぶってそれらが片付いた後で考えよう!」って思っていたんですね。
でも、見ないふりしてても、何となく気になるじゃないですか。年取った自分がどうなっているかがそもそも見当もつかないし。
寝たきりになったとして、何が(主にお金なんでしょうが)どれくらい必要になるかとか。
案ずるよりもなんとやら
で、実際自分の親を見ていてどう思ったか正直に言うと、
「そんなに心配しなくても大丈夫!」
もちろん、もっと長く在宅で介護状態になる人はたくさんいることも、体調は人それぞれだということも、病院を転々としなくてはならない場合もあることも分かっています。遠距離介護だと子どもの側の負担も大きいだろうし。
でもね。
それがすべてお金で解決できるかと言うと、そうでもないし、払えるお金の範囲でできることが限られてしまうことだってあるけれども、
今までは、わからないから不安に感じていたのが大部分だったって思います。だから、お金を貯めても際限なく不安だった。
今なら、何とか解決しようと思えるし、助けてくれる人はたくさんいるって知っています。ケアマネさん、訪問看護師さん、老健のスタッフさん、介護用品の担当者さんetcetc…
それぞれの立場で、それぞれの専門的なサービスで両親を助けていただけました。もちろん、いつまでも今の制度そのままであるとは限らないし、将来のことはわからない。いい方に変わるかもしれないし。
自筆の遺言書保管制度創設 20年以上の婚姻関係で居住権 民法など相続改正案判明 40年ぶりの抜本改正 - 産経ニュース https://t.co/bdQkcsvOSF @Sankei_newsさんから
— 楽天家業(提督) (@rakuten_kagyou) 2018年1月7日
親のお金って、結局、事前にはよくわからなかった
亡くなった父は、買い物大好き!お金があればあるだけ使う人でした。
母に面と向かって、「奥さんが亡くなった〇〇さんがうらやましい。年金を全部自分で使えるから」と酷いことを言う人でもありました。誰に介護されると思っていたんだろう?
その後、とある出来事があって、「俺は金に不自由していない」と母にお小遣いを渡すようになって、母も私もそれはもう驚いたものです。 fukulife.hatenablog.com
父は、介護保険関係についてはほとんど理解しておらず、施設入所にいくらかかるかもたぶん知らず、だからそこまでの蓄えはなさそうでしたし、亡くなった後調べても、やはりそこまではなかったです。在宅介護→入院約2週間だから、何とかなっただけ。
お父さん、ギリギリじゃん。
入院費については、父はガンだったので、ガン保険でほぼ賄えたそうです。あとは、介護用品のレンタル、介護サービスの利用、通院交通費、食費、冷暖房費、消耗品費などがあって、体が弱るにつれて増える費目もあったのですが、「普段より多少出費が多いけれど、しかたがないレベル」と母。
大幅に予算オーバーしたのは、介護保険の上限を超えてサービス利用があった11月。母が主治医を変えて体調が安定しなかった時期で、体力的に厳しく、「お金のことは構わない」とショートステイやディサービスを多く利用していました。
これが施設への長期入所だと、家族で会議をして、子どもでできる範囲の出費を分担して…というような流れになっただろうと思います。そういう意味で、私個人でいくらか貯蓄があるのですが、貯めておいてよかったです。
今回は使いませんでしたが、そういう場合夫名義の貯蓄を出してとは言いづらいし。
もし、親の預貯金がはっきりしなかったら(はっきりさせてからの話の方が断然良い)、出納関係を記録しておかないと、あとでもめる元にもなるし。
本格的な介護状態になる前に、お金の話は親子間で何とかしておくのが理想です。
うちも、後からわかったことの方が多いくらいでした。
お金に関することは、親子間でよほどの信頼関係が無いと、難しそうですね。
これも形見分け
一般に、形見分けと言うのは四十九日前後に行うらしいのですが、年明け、母の顔を見に行った時に、
「もうあらかたの手続きは終わったし、あんた達にひとつずつあげるわ」
と言って、父の印章をもらいました。むかーしむかしの象牙製のものです。
「気に入らなければ、印面を削って彫りなおすこともできるから」
と言うことでしたが、私の旧姓は珍しい方で、認印なども注文しないとありません。文房具屋さんなどにあるハンコタワーの中にはない苗字です。
結婚前に使っていた旧姓の認印はしまい込んだのか手元にはないし、いい記念だからと一本もらっておきました。
父の持ち物にはそう高価なものはなさそうなので、兄弟の間でケンカになりようもありません。
祖父が亡くなったときに、田舎のことなので四男だった父は相続放棄をしたのですが、せめてもの形見にと祖父が愛用していたキセルをもらったそうです。
キセルと言っても、時代劇で見るような長いものではなくて、フィルターのない紙巻きたばこに使う、鉛筆キャップくらいの短いものでしたけれど。
亡くなった人を偲ぶには、ちっちゃいもので十分です。
ようやく落ち着いた、かな?たくさんの手続きあれこれ。
こんなツィートを見つけました。
ご紹介。弁護士の菊元先生がこれまでのご経験と、ご自身の喪主経験を元にして作成された、相続のチェックリストです。実践的です。/
— shoya (@sho_ya) 2018年1月2日
推定(代表)相続人チェックリスト2017.12 https://t.co/I0mL5pkOO9
書店には、こういうテーマの本がたくさん出ているので、必要に応じて1冊買っておくのが良さそう。今回は我が家でやっておいたことを書いておこうと思います。
【生前に済ませておいたこと】
□ 葬儀業者を決め、見積もりを取る。
葬儀の10か月くらい前、母からの依頼で業者さんを決める。この時は、ご近所の会葬あり/なしの2パターンで見積もりを取った。
弟(長男)がいろいろ調べ、市民葬(地元の葬祭業者のみ行える)とその他の業者に依頼する家族葬では、自治体の斎場を利用するならほぼ同じ費用であることがわかり、応対の良かった業者さんに事前登録。
□ クレジットカードの解約
約1年前くらいから、父本人により解約。カード払いの会費などは無かったので、外出しなくなって利用がほとんどなくなったため。ついでに母のカードもよく使うものだけ残して整理。
□ 預貯金等、生命保険契約、火災保険契約についての確認
父本人の指示で、預貯金口座の整理(母&長男)、株式の売却(長男)、保険契約の確認(次男)を行う。
夫婦契約になっている医療保険や、火災保険の見直しが必要なことが判明。実際の手続きは後日。
□ 借金は無いか、借金の保証人になっていないかの確認
これ、大事なんだけれど、なかなか聞けなかったです。保険の見直しを頼まれたときに、それとなく口頭で確認はしたのですが…
□ 死亡に伴う葬儀代や、入院費用、介護サービス利用料などの費用を確保(口座凍結で引き出せないのを避けるため)。
葬儀費用は、施主である長男が一旦カード払いで建て替えた後、精算。
□ 葬儀業者へ事前の相談
搬送を依頼する連絡をどうするかなどの確認など。1か月くらい前?
□ 携帯電話の解約
本人が放置して興味の無いことを確認してから解約
【亡くなったとき】
□ 病院で亡くなったため、葬儀業者さんに連絡し搬送を依頼。後は流れで、自宅で迎える準備、通夜式・葬儀会場の予約、葬儀に関する流れの打ち合わせ。
病院で発行された死亡診断書&死亡届の市役所への提出は翌日業者さんが行った。その後の手続きにも必要になるため、死亡届のコピーはなるべく早くもらえるよう依頼。
□ ケアマネさん、訪問看護ステーション、老健の相談員さんに連絡。
□ 檀家ではないので、導師様は葬儀業者さんに紹介してもらう
□ 業者さんによる訃報作成。FAXで送られてくるので、家族の勤務先への連絡など。
□ 翌日、葬儀についての詳細な打ち合わせ
□ 僧侶へのお布施など、現金の用意
□ 葬儀関係の領収証を集めるジッパー付きの袋を用意
【亡くなってから四十九日まで】
□ 自治会への届け出(回覧される) ←今回は家族葬だったので、葬儀後
□ 生命保険と年金手続きに必要な提出書類の確認
どんな書類が全部で何通必要かまとめておく。戸籍謄本の除票などは取得可能になるまで(除籍が反映されるまで)数日かかるため、取りに行く直前にも取れるかどうか、支所でも取れるかなど市役所本庁へ確認。
□ 保険会社に手続きに必要な書類を送ってもらう
□ 保険請求に必要な書類作成を病院に依頼
□ 病院の請求を待って、入院費用の精算
□ 葬儀後、位牌作成の手配、四十九日の日程をお寺さんと相談
□ 保険会社への請求
□ 社会保険事務所へ面談日時の予約&遺族年金の手続き
□ 健康保険(後期高齢者医療保険)へ葬祭費の申請
□ 香典返しの手配
□ 公共料金などの名義変更・振替口座変更手続き
□ 葬儀関係の出納を記録
今現在、だいたいこのあたりです。父名義の資産は自宅と預貯金で、相続税の基礎控除額を下回るので、相続税の申告はナシ。ほぼ母の生活や将来の介護に充てることになるので、子どもが相続することは今のところ考えていません。
3,000万円 + 600万円 × 法定相続人の数
名義変更の手続きは、ぼちぼちやる予定です。
四十九日が終わったら、準確定申告をします。昨年3月までアルバイト収入があったので、そちらの源泉徴収票を送ってもらうよう、母に伝えておきました。
年明け早々、母が社会保険事務所に遺族年金の手続きに行きましたが、書類が全部そろっていたため、1時間足らずで終わったそうです。
父は企業年金が無かったので、年金関係の手続きはそれで終わり。今後の生活のめども立ったので、母はホッとしたようでした。
それぞれの年齢や職歴で年金額は変わってきますが、事前に「たぶん全部でこれくらいになると思うよ」と概算した額とほぼ同じくらいだったので、私もちょっとは役に立てたみたい。
あと、慣れていないので面倒なのですが、「高額医療・高額介護合算療養費制度」に該当するかどうかの確認はこれからやります。
今度の準確定申告では、医療費控除なしで良さそうなので、明細を作らない分ラク。医療費はそれなりにかかっているのですが、医療費控除が無くても所得税は還付されそう。
で、浮いた労力を↑の制度の確認に使います。
こうやって書き出してみると、相続でトラブってなくても手続き関係が多い!実はここにない名義変更や契約変更もあったりします。
これでも割とスムーズに行った方だと思うので、ポイントまとめ。
- 葬儀をどんな形式で行うか、早めに決めておく
- 亡くなったときのために、まとまった金額を使えるようにしておく
- 手続き関係は、必要な書類などあらかじめ電話で確認してから出かける
- 子どもで手伝えるところは、分担する
- 生前にできることは、なるべく前倒しで(クレジットカードの解約など)
父を見送る・2
正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし (一休宗純)
っていうのがあったのを思い出したり。いつもなら、張り切って3が日分のお節やら食材の準備にはりきっているのですが、やはり今回はそういう気にはなれず、不祝儀でも食べられる煮しめなど煮ております。
短い間だったけれども、長女が再就職先でどうにか落ち着きだした9月以降から、入れ替わるように体力が落ちていく父の様子を見てきた。思うように動けない、日々できないことが増えていくことに苛立っていたことや、次第に眠っている時間が長くなっていくことや、食事の量が減っていくことなども。
医療や介護にかかわる様々な立場の人が、父を尊厳ある一人の人間として接してくれたことも。
わがままや文句を言いながら、最後まで治療を受けようとしていた父。← もう緩和ケアに移行していた後だったけれど。
でも、それでいいんだ。そして、父だけでなく、私も。だれでも。
今まで何冊も本を読んで、自己肯定感の低いのを何とかしたいとあがいていたけれど、誰にでも終りはあって、それまでは(犯罪以外なら)何をやってたって構わないってことが、父を見ていてストンと腹落ちしました。
相変わらず、年末年始にはふさわしくない内容の記事ですので、読みたい方だけどうぞ。葬儀当日の覚え書きです。
お骨を骨壺に収める段になって、「ああ、人ってこんな風にお骨になっちゃうんだ」と思った。
大腿骨や腕の骨の先端の丸いところ、薄い肩甲骨、背骨の一つ一つ。のどぼとけの骨。頭蓋骨は数片に分かれていたものの、顔の部分はほぼそのまま。
「鉄分をしっかり摂られていて、運動もされていたのでしょう。しっかりしたお骨です」と、担当の係員さん。二人一組で、一片ずつお骨を収めた後は、足の部分から順に説明しながら係員さんが収めていく。
きれいな形に残っていても、お骨と言うのはもろく、何回か押し込んで嵩を減らしながら収めるのを初めて知った。祖父が亡くなったのは30年ほど前だけれども、その時は最後まで見ていなかったし。
されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり
父は80歳だったし、ここ3年ほどは入退院を繰り返してとても血気盛んと言うわけではなかったけれど、唐突に思い浮かんだのが蓮如上人の言葉。たしか高校で習った気がする。
さっきまで眠るような父の顔を見ていたばかりだというのに、こんなに軽くなっちゃうんだ。最近は散骨を希望する人が増えているそうだけれども、その場合はお骨は細かい粉状にするそうだ。砕いてしまって海や山に散骨したら、後には残らずに自然に還っていく。
墓地とかお骨とか、いつまでも後に残りそうなイメージだったのに、実際にお骨を見ると、さらさらと土に紛れてしまいそうだ。そのままでは残りそうもないから、あえて残そうとするのがお墓なのかなと思った。
折々に涙は出るんだけど、悲しいとはあまり感じない。ありふれているけれど、父は心の中にいるんだなあっていう実感。悲しいと言えば、もう意思疎通できなくなった時が一番悲しかった。
今思うのは、「私の半分は父でできている」ってこと。だから平気。
そういえば。
葬儀の打ち合わせをする際、母は父の遺影にする写真を用意していなかった。写真ばかりを入れてある箱の一番上に、次男の結婚式の時に撮った夫婦だけの記念写真があった。
元気だったころの写真。記念写真には珍しく、父は笑っていた。
葬儀屋さんが、はがきサイズの父の写真を焼き増ししてくれて、その笑顔の写真は手元にある。リビングのみんなが見えるところに置いておこう。