空の見える窓から

50代、主婦。ミニマリストになりたい。

父を見送る・2

正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし (一休宗純

 

っていうのがあったのを思い出したり。いつもなら、張り切って3が日分のお節やら食材の準備にはりきっているのですが、やはり今回はそういう気にはなれず、不祝儀でも食べられる煮しめなど煮ております。

 

短い間だったけれども、長女が再就職先でどうにか落ち着きだした9月以降から、入れ替わるように体力が落ちていく父の様子を見てきた。思うように動けない、日々できないことが増えていくことに苛立っていたことや、次第に眠っている時間が長くなっていくことや、食事の量が減っていくことなども。

 

医療や介護にかかわる様々な立場の人が、父を尊厳ある一人の人間として接してくれたことも。

 

わがままや文句を言いながら、最後まで治療を受けようとしていた父。← もう緩和ケアに移行していた後だったけれど。

 

でも、それでいいんだ。そして、父だけでなく、私も。だれでも。

 

今まで何冊も本を読んで、自己肯定感の低いのを何とかしたいとあがいていたけれど、誰にでも終りはあって、それまでは(犯罪以外なら)何をやってたって構わないってことが、父を見ていてストンと腹落ちしました。

 

相変わらず、年末年始にはふさわしくない内容の記事ですので、読みたい方だけどうぞ。葬儀当日の覚え書きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

お骨を骨壺に収める段になって、「ああ、人ってこんな風にお骨になっちゃうんだ」と思った。

大腿骨や腕の骨の先端の丸いところ、薄い肩甲骨、背骨の一つ一つ。のどぼとけの骨。頭蓋骨は数片に分かれていたものの、顔の部分はほぼそのまま。

 

「鉄分をしっかり摂られていて、運動もされていたのでしょう。しっかりしたお骨です」と、担当の係員さん。二人一組で、一片ずつお骨を収めた後は、足の部分から順に説明しながら係員さんが収めていく。

 

きれいな形に残っていても、お骨と言うのはもろく、何回か押し込んで嵩を減らしながら収めるのを初めて知った。祖父が亡くなったのは30年ほど前だけれども、その時は最後まで見ていなかったし。 

 

されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり

 

父は80歳だったし、ここ3年ほどは入退院を繰り返してとても血気盛んと言うわけではなかったけれど、唐突に思い浮かんだのが蓮如上人の言葉。たしか高校で習った気がする。

 

さっきまで眠るような父の顔を見ていたばかりだというのに、こんなに軽くなっちゃうんだ。最近は散骨を希望する人が増えているそうだけれども、その場合はお骨は細かい粉状にするそうだ。砕いてしまって海や山に散骨したら、後には残らずに自然に還っていく。

 

墓地とかお骨とか、いつまでも後に残りそうなイメージだったのに、実際にお骨を見ると、さらさらと土に紛れてしまいそうだ。そのままでは残りそうもないから、あえて残そうとするのがお墓なのかなと思った。

 

折々に涙は出るんだけど、悲しいとはあまり感じない。ありふれているけれど、父は心の中にいるんだなあっていう実感。悲しいと言えば、もう意思疎通できなくなった時が一番悲しかった。 

fukulife.hatenablog.com

 

今思うのは、「私の半分は父でできている」ってこと。だから平気。

 

そういえば。

葬儀の打ち合わせをする際、母は父の遺影にする写真を用意していなかった。写真ばかりを入れてある箱の一番上に、次男の結婚式の時に撮った夫婦だけの記念写真があった。

元気だったころの写真。記念写真には珍しく、父は笑っていた。

 

葬儀屋さんが、はがきサイズの父の写真を焼き増ししてくれて、その笑顔の写真は手元にある。リビングのみんなが見えるところに置いておこう。