他人との比較で迷走しまくりだったこれまでのこと
昨日、自己紹介で自分のこれまでを振り返りました。
そうしたら、今まで自分が被害者だと思っていた出来事の、全く別の意味が出てきました。
マンション管理会社で契約社員として働きだしてしばらくすると、体に次のような不調が出てきました。
私はアトピー体質ではないのに、市販の軟膏が全く効きませんでした。最初はあせもか何かと思ったのですが、最終的には皮膚科でステロイド剤を処方してもらってやっと落ち着きました。
その時には、「中年女性によくある乾燥肌」ということでしたが、仕事でイライラしたときに特にかゆみがひどくなったので、ストレスが原因だったと思います。
日本臨床皮膚科医会-ひふの病気 痒みとストレス
仕事の動機がブレている
「働いて収入を得たい」「働いで自分が役に立つかどうか確かめたい」「家にいて遊んでいるくらいなら、何か身に付けられるようになりたい」
仕事に就く動機としては、フツーの考えだと思います。でも、大間違いだったこと。心の底では「働いていない私には価値がない」と思っている。
これがある限り、何をやっても見当違いなのにね。
実際、働きだした私のやったことといえば、認められるために資格の勉強をし、雑用も休日出勤も進んでやるなど、何かにつけて負けん気で努力と根性を出していたわけです。
特別男社会の業種というわけではなく、エリア内ほかの現場ではほとんどの担当者が女性だというのに、配属先では「女にこの仕事が務まるのか?」と言われるなど風当たりは以下省略。
今だからわかりますが、私が「できない自分」「不完全な自分」を認めて、そのままの自分でその仕事をやりたいと思ってのことだったら、結果は違ったものになったかもしれません。
当時はそんなこと思いもしなかったので、その職場のままで自分がもっと幸せな状態に変えることができるなんて想像できませんでした。
ただ、「このままでは続けられない」と会社に申し出たことは次々と変更してもらえたので、いくらかでも行動できたのかな。
夫の気持ちを受け取れていない自分
その仕事を始めるときに夫に大反対され、辞めるまで猛反対し続けだったのですが、今思えば、夫のほうがよほど自分を大切にすることが分かっていました。なのに私は反発…
自分を大切にしないと、あるものにさえ気が付けない。
そのくせ、「こんなに努力しているのに、どうしてわかってくれないの?」とまるで見当違い発言。
だめじゃん。
「こんな状況はイヤだもうやめよう」後のスピード展開
その後、実家の両親が高齢で体力が落ちてきたのが目に見えてきたのと、夫の勤務地が変更できるとわかったのがきっかけで、実家近くに移ろうかという話になりました。もちろん私は仕事を辞めて。
7月に「中古マンションを探してリフォームしようか」と探し始めたものの、手ごろな物件がなかなか見つからない状況から、
10月下旬には、ちょうど条件に合った新築マンションを購入して引越しまで終わるというスピード展開。
自分の本音で思うことが、こんなに早くかなって驚きました。でも、まだこの時は私は「自分を大切にする」という言葉の意味を知りませんでした。
【長文注意】あらためて自己紹介
fukulifeです。
今後どうなるかはさておき、いろいろ一区切りついた感があるので、あらためて自己紹介します。
ブログを始めた理由
2015年7月だったか、テレビで「ミニマリスト」という言葉を初めて知ってから、はてなブログを読むようになり、自分でも始めて見ようと思ったのがきっかけ。
ところが昨年4月、ウチの子がパワハラで体調を崩して療養生活に。本人ばかりではなく家族もかなり精神的にハードだったため、書くことでなんとか精神のバランスを取ろうとしていていました。
なぜか同時期に、家族の他の問題?トラブル?も立て続けに起き、「どーしちゃったわけ?」状態。
不思議なことに、「こんな私は不幸」「これからどうなるの?」という不安はゼロ。それはそれ、これはこれという感じで、自分自身は意外と落ち着いていたかも。
のちに、なぜこれが起こったのかがわかるのですが、それは別の機会に。
プロフィール
1963年生まれ。転勤族のサラリーマン家庭に育つ。わかっているだけで8回(覚えていないころを含めるともっと?)、引越し経験あり。
いわゆる「いい高校を出て、いい大学に行って、大企業に就職したら幸せ」と言われていた時代。だから、地元の進学校に入学した時は親にメチャクチャ喜ばれた。
高校では、勉強には全然ついていけず。「なぜ勉強できないのか理解できない」って人ばっかりでキツかったです。ふー
地元の私立大学(文系)へ進学。大学2年の時に、父の勤め先が倒産。それまでパート勤めだった母が本格的にフルタイムで働き始める。
大学卒業後は、文系も広く採用していたIT関係の会社に就職。「男女雇用機会均等法」は施行されたけれど、女性はまだ腰掛けが当たり前と思われることも多く、IT関係は女性が長く働くことのできる業界の一つでした。
父の勤め先の倒産を見て、「女性でも手に職を付なければ!」っていう思いは強かったです。でも結局4年目に残業続きで体調を崩し、退職。
翌年結婚。
二児の母となり結婚後10年間は専業主婦。この間も夫の転勤などで5回の引越し。
結婚7年目でマイホーム購入。
その後、10年間は地元の図書館でパート勤務。活字中毒の私には夢のような職場(別に勤務時間中に本が読めるわけではないです)。
その間に借りた本やCDは3,200点超。絵本や料理本はもちろん、自己啓発系や教育系、お金に関する本など、手当たり次第に読みまくりました。
10年間勤めた後、図書館ではフルタイム勤務の採用はなかったので、マンション管理の会社に契約社員として勤務。ところが当初の契約と違い、土日の約75%が出勤という働き方では続かなかったため、3年目からパート勤務に変更。
その後夫の勤務地変更などもあり、妻の実家近くに引越し。
翌年実家の父が入院・手術。
さらに翌年、子の療養、夫の転職。
で、現在に至る。
好きなこと
・食べること(旬の食材をおいしく。時々外食)
・昼寝
・ウォーキング
・ちょっとした手作り
・風水やゲン担ぎ
・自分を振り返ること
得意なこと
・引越しの荷造りと段取り (笑)
極薄ガラスの破損など荷物の汚破損ナシ。
・管理が楽そうなマンション探し (笑)
後々修繕積立金がかかりそうな物件は敬遠。
・どうすればラクに家事ができるようになるか考えること。
・お金回りのこと
興味が高じて関連資格(FP、宅建士)を取った。
確定申告やふるさと納税を楽しんでいます。
今後のこと
別記事にまとめますが、これまでの「努力、根性」あとなんだっけ?と真逆の考え方を知ったのがここ1年ぐらい。
で、自分がどう変わっていくかを記録しておきたいなあと思っています。
朝から焼き芋を食べること、自分へのいたわりとお金
最近、どこのスーパーにも焼き芋機が設置されていて、冬に限らず1年中甘い香りが食欲をそそります。お値段も1本200円前後とお手頃です。
最近はやりなのはネットリ系らしく、冷めても美味しいです。
が!
1本じゃ足りない、もっと!! どんだけよ
というわけで、八百屋さんでサツマイモを買ってきて、ウチの無水鍋で焼いたら、
ウマ~
「紅はるか」がネットリ系、「紅あずま」はホクホク系との中間らしいですが、紅あずまでも十分ネットリな感じが出ます。ナイス自分。
というわけで、作り置きの焼き芋を朝から食べてました。
お金をかけないで自分の欲求を満たすことってたくさんあるけれども、それも大事なんだけれども、自分がザワザワ感じるくらいのお金を、自分のために出すことも必要。だってそれは未経験なんだから。
お金かけないばっかりだと、ただの負け惜しみになっちゃう。
そうかと言って、お金だけかけてもダメだし。
いろいろあるね。
安心したら、頭の上が晴れたような。気になる問題が無くなった件。
あんなことや、こんなことでバタバタしましたが、
安心したら、肩の荷が下りた…ともちょっと違う。うーん、頭の上が晴れたような気がします。それもなぜか全体がパーッと開けた感じではなく、頭の上だけ円筒状にどこまでも抜けていく感じと言うか。
どこまでも上にのびるコック帽の様に、とでもいうか。 どんなたとえだ!
どちらにせよ、今までのしかかっていたものが無くなったスッキリ感があって、今後やってみたいことが思い浮かんできたのはビックリでした。
家族に何かあった時は、自分のことをやらない設定なんでしょうね。
ただ、今までとは違って、家にいてできることは色々できたかなあと思います。今までは、問題解決は自分の外の世界にあると思っていて、見当違いのことをやってはがっかりしていました。
自分に向き合って、いろいろなことがわかって。きっとこれからも思い込みをどんどん変えていくんだろうな。
ただ、家族を最優先するのは、私は変えないです。変えることを選ぶのか自分に確かめても、やっぱり変えない。別にこれがすべての人に正解なわけではなくて、自分が選ぶとしたらということ。
イライラ問題のその後
夫が今の勤め先になってから、出張費用などの精算方法が今までと大きく変わりました。飛行機代や宿泊費は直接会社が支払う形だったのが、一旦個人で立て替えて、会社から振り込む形になりました。
海外出張だと結構まとまった額になるため、会社からの入金があるまでは残高があまりなく、間もなく次の出張が…となるため、なかなか使える金額が把握しづらいようなのです。
ある時は、ちゃんとごちそうしてくれますし。家計のお財布に余裕があれば、家計から出せばいいし、無い時は「残念。外食費がないのよ~」でいい。
稼ぎのない私にお金をかけられないってこと? ← 言いがかり。
家計のお金なら、気軽に「外食しよう」って言えるの? ← これも言いがかり。
こういうのもありましたね。
夫に外食費を出してもらいたい ⇒ カッコよく支払って欲しい ⇒ 私を大事に扱って = 私の機嫌を取って欲しい = 私の幸せは夫の扱い次第?! オイオイ…
もっと大事なことは、思っていることをその場その場でちゃんと言葉にすること。お互い会話すること。
「転職してから、新しい環境に慣れて成果を出すプレッシャーが重い」という話をちゃんと聞くこと。
そうできていれば、すごく風通しがいい。
そうすると、こだわっていたことが「問題っていうほどのこと?」になっていました。
背景が変わるのを目の当たりにしたこと。
今回、どうしてもウチの子に伝えたかったことがあります。それは、「自分の気持ちをおろそかにすると、周囲も自分をおろそかにする」ってこと。
↑ これ。
お金とか、体裁のためにそこに居続けることはできたけれど、他にどうしてもやりたいことがあったら、そっちを選べばいいんだって。
以前の職場では、立場の強い人のやることには、周囲が逆らえない雰囲気があったそうです。見て見ぬふり。同期入社の仲間もそれぞれ別の配属先で、孤立していたとか。
そういう立場の人間が、「自分が仕事できないせいだ」などと自分責めをするのはありがちなこと。特に2年前は就職状況も今ほどは良くなく、新卒で正社員の立場を簡単に放り出そうという人は多くなかったと思います。
収入は最優先ではなく
今回の就活では収入面だけではなく、
- 残業時間(繁忙期の状況など)
- 勤務地や通勤時間、交通機関
- 仕事の内容
もじっくり比較して応募先を決めた様でした。「心身ともに健康で働き続けられること」が本人の希望でした。
面接が怖い
面接では、志望動機とともに、これまでの職歴や大学の専攻なども含めて、「応募者がどんな人か」「一緒に働きたいと思える人か」をチェックされます。
本人が上手く話せない、元気が感じられないなどが理由で落とされてしまうと、人間性を丸ごと否定されたような落ち込み様でした。
基本的な面接の練習はハローワークで見ていただいたので、家では、
「面接はお見合いみたいなものだから、応募する方も自分に合うかどうか確認する機会だよ」
「その会社ごとに、『こんな人が欲しい』の中身は違うから、お互いの条件をすり合わせることができなければ、採用にならなくてもその方がいいんだよ」
とずーっと言い続けました。
・元気な男性が欲しい
・世話焼きタイプの肝っ玉母さんタイプがいい
・おとなしくても確実に仕事をするタイプがいい
・管理職を採用したい
・若手を育てたい
・欠員を至急補充したい
などなど、仕事内容や資格以外にも『欲しい人』の中身は様々だということです。
面接でホンネを伝える
前の記事でも書きましたが、面接の際には言わない方がいいことがあります。
「以前勤めていた会社の悪口は言わない」というのは、当然ですが、
- 労働時間が長く、休日出勤も多い(から体を壊した)のはムリ
- 複数の会社を検討している
- 正社員採用を希望している(将来正社員採用かもしれないパート職もあった)
- 治療のために通院履歴はあるが、就労許可は出ている
など、面接の場では避けるようなことも言ったそうです。これって、自分の気持ちを無視しないで自分のために動いたってこと。
本人が言うには「だって、そうしないと志望理由に一貫性も説得力も出ない」「先方とこっちの条件の擦り合わせができない」。
ごもっともです。
手続きでも希望を伝える
↑の記事で書いたように、金曜の夕方内定承諾をし、翌週火曜日が入社日だったのですが、最初、「採用条件は入社日に説明する」でした。
本人も急展開に慌てたのか、「採用条件を書面で確認する前に内定承諾をしてしまった!」と青ざめていました。求人票と採用条件が食い違うことがあるからです。
週末をはさんでまだ日にちもあったので、「メール添付でいいから、事前に書面をもらったら?」と言ったところ、数回のメールのやり取りの後、正式な雇用契約書が送られてきました。
どうかすると、雇用契約書を発行しない会社もあるので、一安心。
こんなふうに、面接と同じように「不安な点はきちんと伝えたら、ちゃんと応えてもらえる」
というやり取りを経験できたのは大きかったと思います。自分で動くことでモヤモヤを解消できたからです。これからのどんな人間関係にも大事!
いつの間にか周囲には温かい人ばかりが
今回の件に関しては、たくさんの人の温かさに支えられました。本当にありがたいです。本人が直接お礼の気持ちを伝えているのですが、ここでも書いておきます。
ハローワークの担当者の方:
とても親身に相談に乗っていただきました。面接の練習や、書類の書き方など丁寧に指導してくださったので、安心して就活できました。
担当のお医者様:
焦りがちな本人に、「ゆっくりでいいよ」「あせらなくていいよ」など温かく接していただきました。体調を崩した時にも適切な対応やアドバイスが受けられました。仕事に慣れるまでの経過観察はまだ必要ですが、よろしくお願いいたします。
応募先の企業の方:
就職活動にあたり、本人に真摯に向かい合っていただき、ありがとうございました。本人の面接に対するイメージが大きく変わりました。
また、厳しく面接されたところも、その後の対策のためにはいい質問をたくさん投げかけていただけて大変ありがたかったです。
このほかにも、タイミングよく気分転換に誘ってくれたお友達、「頑張らなくていいから、夜は早く休むように」とアドバイスする指導係の社員さんのおかげで、何とかやって行けそうです。
世の中は優しい
前の記事でも書きましたが、もう親が手出し口出ししなくても大丈夫になりました(遅い!)。こんなに温かい人ばかりに囲まれて、世間は優しいじゃないか!
ウチの子をめぐる背景は、1年ちょっと前とは比べ物にならないくらい、良い方に変わりました。
また一つ、世の中を信じられるようになった。
ありがとうありがとう。
物事は動くときには一気に動く
昨日の記事
今日は覚え書的に書こうと思います。応募の流れは人により、また時期によりケースバイケースなので、あくまで一例ということで。
全体の流れ
6月上旬:失業手当の給付が終わる
6月後半:その後若者就職支援担当コーナーを紹介されて専任の担当者が付き、応募書類をまとめる。
6月末頃:求人票をかなりの数(10件以上あった?)出してもらい、勤務地、勤務時間、業務内容などを1件ずつ本人がチェックする作業に入る。ここで3件まで絞り込み。
絞り込んでから、応募先ごとに書類を完成させて書類を送付。
7月前半:書類選考や面接の結果が一通り出る。
7月後半:後半も同じように進めたが、この時には求人数が減っていたこともあり、紹介されたのが3件。確認の上、3件全部に応募することに。
並行して、民間の転職エージェントにも登録。
7月前半の結果
1社目:面接日が申し込みから準備の余裕がなく、体調も悪かったため辞退
2社目:面接したが不採用
3社目:書類通過せず
最初はこんな状態。
合間合間で、学生時代の友達と気分転換。仕事の様子などを聞いて考え込んでいた。
7月最終週。一気に結果が出る。
・3社(A社、B社、C社とします)とも書類通過
月:午前A社、午後B社面接
火:民間エージェントへ。ハローワークで報告&面接練習
水:A社より2次面接の連絡
木:午前C社面接、午後A社2次面接&内定
金:午後C社より内定連絡、16時までに要返答。この時点でB社の結果は不明
最終週、あわただしいです。スマホのメッセージがガンガン飛んでくるので、こちらもハラハラし通しでした。メッセージのやり取りからひろってみましたが、金曜日、私は外出中。帰宅した時には、本人が自分で決断し、各所に連絡が終わった後でした。
なんかスイッチが入ったらしく
7月後半の面接では、「面接ではそこまで言わなくても」ということも言い、他社も受ける予定だと言い、「御社が第1希望です」とは言わず、それでも内定が出たようです。
また、複数内定が出て結果待ちの会社もある中、限られた時間の中で、それぞれの会社を選んだ理由を比べて自分で答えを出すーーーほんの2,3週間前に、面接の場に行くことさえできなかったことを思えば、「成長」しました。 親バカだよね。
まだ勤め始めたばかりでどうなるかはわかりませんが、その時はその時で、もう自分でどうするかまで見越したうえでの結論なので、もう言うことはありません。
親の役割は、これで終わりです。
健康維持のために、食べること、休むこと、楽しむことをしてくれたら、それでいいです。
今度何かあっても、まずご飯を食べさせる。これから親にできるのは、それくらいかな。
子どもが就職しました!
今日から8月。
パワハラが原因で自宅療養していた子どもが就職しました。療養と言いつつも、薬は春ごろ自然にやめることになったし、最近では月1回の通院と言ってもほぼ経過報告。そして6月後半から7月にかけては就職活動。
本格的に応募書類を送りだしたのが7月に入ってですから、早く決まったほうだと思います。お盆休み前に、採用を決めてしまいたい企業側の事情もあるみたい。
高校受験時の面接の失敗以来、大の面接嫌いだった本人を見て来たので、ここ2,3週間での変わり様にはびっくりです。
それでも今日は、緊張で青ざめながらの出勤でした。
理不尽な扱いを受けているなら退職しても、次の仕事は見つかります。限界まで頑張るなんてことはしないで、どうか自分を大切にしてください。
健康で笑っていられるのが、一番大事です。
あ、なんか泣きそう。
では。