空の見える窓から

50代、主婦。ミニマリストになりたい。

介護に子どものポジションを最大限に使う

実家の親の介護や、聞こえる範囲のことなのですが、「主介護者以外の実子が介護現場をひっかきまわして大迷惑だ」と言う話を聞きます。

 

  • なぜか実子の前では認知症の症状が出ず、受け答えもはっきりしているため、「親はそんなに重い介護度ではない」と誤解される。
  • 主介護者に対する親の物の味方や文句を実子が額面通りに受け取ってしまい、主介護者とトラブルになる。
  • 施設や病院について、親の物の見方や文句を(以下同文)。
  • 主介護者に対しての労りが無い。
  • 介護の負担を、金銭的にも労力的にも分け合おうとしない。いざ相続になると、実子の権利だけは主張する。

他にもありそうですが、思いつくのはこれくらい。

 

実子が主介護者の場合は、実子でも親との衝突は避けられないらしく、娘が介護していると、「娘とはケンカばかりなのに、息子の言うことはなんでも言うことを聞く」なんてこともあるそうです。

 

今回、実家の場合もまさにこれで、主介護者である母(妻)は悪役。父に「鬼嫁」「鬼婆」など失礼なことを言われていましたけど、誰のおかげで快適に過ごせているのかっていう・・・

 

介護保険の認定は受けない」「施設のサービスは受けない」「食事はイヤだから食べない」とか、子どもじゃないのにイヤイヤ期かよ!ってくらいあれこれ嫌がる時に、主介護者と衝突していると、聞く耳なんかありゃしません。

 

せいぜい機嫌がいい時を選ぶくらい。

 

そういう時に、実子のポジションを使います。

食欲がない時に、「これは長女が持ってきた炊き込みご飯」「これは孫の手作りギョーザ」「顔を見に来たから一緒に食べましょう」等々。うまくいかないときもありますが、気分転換になるのか食が進むこともあります。

 

こういう時に、「なんだ食べるじゃない。ふだん食べないってやり方が悪いんじゃないの?」など、主介護者を絶対に責めてはいけません。そういうものなので。

 

「お風呂に入りたがらない」「着替えたがらない」時も、実子ならすんなりいくかもしれません。

 

ウチでは、弟(長男)がたまたま仕事で介護関係の新規事業に関わっていることもあって、父が「長男=介護関係の知識がある人」認定をしたらしく、難しい説明は省いて、「デイサービス、イヤなの?大きなお風呂に入れるよ。お風呂の日だからね」であっさり解決してしまいました。

 

実際、温泉のように豊富にお湯が使えて、とても気に入っていました。

 

とにかく、介護施設に偏見(入ったら出てこれない)が強く、日帰りや短期の利用を見聞きする機会もなく、その時にはいくらか認知症も進んでいるので、母だけの説明ではなかなか納得しなかったです。

 

費用については、いざ施設に長期入所となれば、実子間での話し合いにもなりそうですが、在宅で介護をするにも、細々と費用が掛かります。

父の場合は、紙おむつの使用はそれほど多くなかった(24枚入り3パックは使い切らなかった)ですし、一定の条件を満たせば自治体の補助も受けられます。それ以外にもいろいろあるので、雑費として負担したり、実物を持って行ったり(何が必要かは確認して)もいいと思います。

 

 

こういうのとか。ウチは280㎖が使いやすかったです。

  床ずれができたら、こんなのも。結構高い。医療用はもっと高い。

FC モイストヒーリングパッド Lサイズ 3枚入

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  好みにもよりますが。

 

あとは、主介護者の食事の心配。自分のための買い物ってなかなか行けないので、食材を買ってきて差し入れしたり、実家で煮炊きをしたり(実子だから台所を使っても、そんなに抵抗されない。散らかすのは厳禁)。

 

主介護者の通院や美容院などに行く時間、休む時間を確保するのに、交代の時間を作ったり。

 

とにかく、主介護者一人に任せっきりでは持たないので、マメに連絡を取って少しでも楽になる方向で。

 

「本人は子どもの前ではシャキッとしている」「子どもの言うことなら大概のことは聞き入れる」「ちょっとしたものでも、子どもの持ってくるものを喜ぶ」なら、それを最大限いいほうに使って、主介護者にラクをしてもらうのがいいと思いますが、いかが?

 

 

最後の食事

父は、入院前日にショートステイに出かけたのですが、その日の朝食が「家で食べる最後の食事」になりました。

 

白粥・スプーン2杯

介護用レトルトおじや・1パック

味噌汁

いちご2つ

緑茶

 

ショートステイやデイサービスは出かける前に「行きたくない」「家にいる」などさんざんゴネて、デイなどはお休みすることもありましたが、その日は自分から行くつもりで早めに起き、食事をし、身支度をして出かけたそうです。

 

「食べたくない」「飲みたくない」という父に、顔を見れば「少しでもいいから食べて」「飲まないと脱水症状になるから飲んで」と口うるさかった母。

 

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12月上旬時点では、1日1食または2食。1食目が朝食だと2食目が夕食、起きるのがお昼頃になって昼食が1食目になると、その日はもうおしまい。

 

大体そんなペースで、気が向かなければ拒否→母がうるさく言ってケンカ。

 

ここ数か月は本当に果物をよく食べた。水分が多く、軟らかくてカロリーもとれる。

プラム、梨、柿、軟らかめの干し柿、いちご。果物ではないけれど、トマト、アイスクリーム、あずきバー

 

母以外の家族がいると、つられるのかいいカッコしたいのか割と食べるので、弟(長男)は週1、私は週1,2回顔を出して昼食を一緒に食べるようにしていました。

 

「〇〇が食べたい」というので、作ったり買ってきたりしても、いざ食事になると「それはいらない」ということもそりゃもう多かったそうです。レトルトの介護食なんて、それこそ見向きもしなかったらしいんですが、母が、

 

「これは、昨日〇〇(私のこと)が来た時に、『これなら食べれるかな』ってお父さんのために作ったんだよ」と言ったら完食したそうです。

 

それが、上記の最後の朝ごはんのなかのおじや。

 

嘘も方便といいますが、これがきっと「ついてもいいウソ」なのかな。

 

母はその時のことを何度も話すのですが、

「家にいる間は、最後まで食べさせることができてよかった」

「食べさせてから家を出られてよかった」

「それだけは後悔しなくて済む」。

 

ショートに行ってからの食事内容はわからないのですが、「何も食べずに送り出したら、後悔したと思う」と言っていました。

 

これ、食べさせるのが後悔のない介護と言っているのではなくて、それは人によって違っていて、たとえば、「毎日清拭して着替えさせる」とか、「きちんと歯磨きする」とかあるのだろうと思います。

 

私はどちらかと言えば、飲食を無理強いはしたくない方だったのですが、主介護者である母が満足していて、父が精神的に追い詰められていなかったのなら(少しは負担だったと思うけど)まあ、そういうのもありなのかなと。

 

最近読んだ、とある看護師さんによれば、「喋ることができれば、食べられる」そうだし。

 

今、父は点滴のみで飲食はしていないのですが、昨日、重湯やミカンは食べられるか看護師さんに聞いたところ、「医師に確認します」とのこと。

 

そう、喋ることはできるけれど、今度は誤嚥の心配をしないといけない。もしできるなら、口に含んで飲み込まずに吐き出すのでもいいんだけどなあ。

 

よく、「死ぬ前に食べるとしたら、何が食べたい?」っていうけれど、どの食事が最後になるのか、わからないことだってある。父だって、ショート先から入院して食べられなくなるなんて、ましてや出かける前の食事が最後だったなんて、きっと考えてもみなかったんだろうと思う。

 

食べたいものがあったら、「いつか」ではなく、元気なうちに食べておくのも大事。

 

そんな風に感じました。

 

 

患者本人にこうあってほしいこと

今、父は入院して緩和ケアを受けています。救急車で運ばれたときは、「今日中にお子さんに顔を見せてあげてください」「(残された時間は)あと5日くらい」と言われました。

 

入院してから今日で7日目。

 

入院手続きの時、いろいろサインする書類の中に、「転院」の文字がありました。入院当時の危機的な状況が落ち着いて、治療の必要がなくなった場合は病院にいられないので、家に戻るか、他の病院に転院するかその時にお話ししますということでした。

 

母としては、近所の緩和ケア病棟のある中堅病院を希望していたのですが、父は比較的元気だった時でも、「そこの病院だけは絶対イヤ」と言っており、「転院ならすぐそこへ」というわけにはいきません。

 

父の拒否の理由も、「その病院なら穏やかに家族と過ごす時間が持てたり、何かあれば病院スタッフが手当してくれる」というメリットには目もくれず、「終末期に行くところ=一度入ったら出てこれない場所」という認識しかありません。

 

今お世話になっている病院と、主治医の先生を大変信頼しているので、今さら他の病院は考えられないようなのです。

 

元気な時はともかく、認知症もある程度進んでしまっているため、理屈で説明することはもう無理。

 

元気である間に、介護保険とか、どこでどんな治療を受けたいのか、もう治療の必要がなくなったときに、どこでどのように過ごしたいかなど、調べるなり考えるなりしておいて欲しかったです。

 

「まだまだ自分は動けるんだから、そんなことは関係ない」ではなく、元気で自分のことが判断できるうちに」ある程度興味を持って考えて欲しかった。

 

介護保険の認定を受けることすら拒否感が強く、確か最初は「介護サービスを利用するかしないかはともかく、認定だけでも受けておきましょう」と説得していたように思います。最初の要介護認定を受けたのもわずか半年ほど前です。

 

家族だけでなく、患者本人もこれほど短期間に状況が変わるのについていけないものなんですね。

 

転院については、今お世話になっている病院の緩和ケアチームの担当医師から、入院している本人にお話があるそうです。父の拒否感が強いその中堅病院にも、現在の病院からは医師を派遣しているため、まるっきり関係のない病院というわけではないんです。

 

その辺については、また別記事で。

 

 

 

救急車に乗って一緒に帰ろう

今日、父の顔を見に病院へ行ってきました。

 

その前に、入院証明書の引換証を取りに実家へ寄ったのですが、電動座椅子も介護用ベッドも引き上げられていました。

 

がらんとしたリビング。

 

家庭用の介護用ベッドは、コンパクトな病院用と違って駆動部分がゴツく、かさ張っていたため余計にそう思ったのかもしれません。

 

父に声をかけると、すぐに目を開けました。背中に丸めた布団が当てられ、床ずれ防止で体を少し傾けて寝ていました。

 

点滴が落ちないで止まっているのを、「看護師さんがチェックしに来ない」と文句を言っていました(笑)が、よく見ていると、ずっと止まっているわけではなく、思い出したようにポトリポトリと落ちてはしばらく止まるのを繰り返しています。

 

本当はもう体が受け付けないなら、点滴もいらないかもしれないのですが、本人がそれで治療を受けている気になっているようなので、そのまま何も言わずに置きました。

 

少し話しては、スーッと目を閉じてうつらうつらと眠り、眠っていたかと思えば目を開けて、「昨日は〇〇先生が来て、『お昼ごはん食べませんか?』って聞かれた。もう『食べられない』って言ったけど」など、思い出したように話し出します。

 

ゆっくりゆっくりだけれども、しっかり話はできる。寒いというので、肩口を覆い、足先を布団でくるむようにしました。

 

「熱は無いねえ」と額に手を当てると「あったかい手だなあ」。

 

前に来た時も、足が冷たかったので手で温めたら、「わ!」と驚いていました。不快そうではないので、軽いマッサージは喜びそうです。

 

「今度の日曜、子供たちとくるからね」

「もうその時には、家に戻っているよ」

 

・・・・・

 

1時間ほど、そうやってぽつぽつ話をして過ごしました。

 

「もう、バスが来るから帰るね」

「なあ、救急車に乗って、一緒に帰ろう」

 

「私は元気だから、きっと乗せてもらえないよ」「また来るから」

 

「気を付けてお帰り」

 

 

今日、母は自分の通院や、ケアマネさんとの打ち合わせがあるので来れませんでした。もしかしたら、弟や私たちが行く土日は行かないかもしれません。

 

父の「家に帰りたい」をかなえてあげられないのが、心苦しいのだと思います。

 

 

 

「最後をどこで迎えるのがいいのか」は人によって違うと思った件

何から書いたらいいのか。 

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今回父は、ショートステイ先の老健さんから病院へ運ばれました。老健はリハビリを目的とした施設なので、看護師、理学療法士、医師など医療スタッフがいます。最近床ずれを作ってしまった父を、安心して預かっていただけるところでした。

 

血中酸素濃度の変化も、医療スタッフと設備があるからわかったことで、もし自宅でこのような状態になっても、家族には何がどうなっているかわかりません。おそらく24時間対応の訪問看護ステーションに連絡して、相談することになっていたでしょう。

 

もうほとんど水を飲まなくなった父は、尿もほとんど出なくなっていたのですが、ほとんど生理食塩水?の点滴のおかげで尿は出るようになり、入院翌日の昨日はずいぶん落ち着いた様子でした。

 

昨日、主治医の先生からこれまでの病状の経過を含めた説明を受けました。肺と肝臓、特に肝臓にがんが広がっている画像を見せてもらいました。

「もう家には帰れないでしょう」とも、これまでの治療期間中の母の様子(入院期間中でないと休むことができない)ということも分かったうえで、「在宅での看取りは難しいでしょう」とも言われました。

 

もちろん、在宅の看取りを否定されたわけではありませんが、母だけではなく相当の家族の手が必要であるとも言われました。

 

それ以上の説明はありませんでしたが、刻々と変化する病状を受け止められるか、冷静な判断ができるのか、「最後まで在宅で看取る」という強い意志があるのか。介護する家族の側にも相応の覚悟がないとできないんじゃないか。

そういう印象を私は持っています。

 

母の考えとしては、今までそうだったように、「無理だろうが食べたり飲んだりすればその方が体には良いだろう」です。だから、「点滴であっても水分が体に入るのはいいことだ。家では点滴や痰吸引はできないのだから、もう病院以外の選択肢は無い」です。

 

おそらく医学的には、「飲んだり食べたりできないのは、もう体が要求していない、受け付けない」ということなので、仮に家にいる時に今回のような状況であったとしても、自然に任せていいケースなんだろうと思います。

 

仮に看護師さんや医師の往診を受けながらだったとしても、もう母は父が苦しむだろう状況には耐えられない。自分のできることはもう無い。はっきりとは言わなくてもそう考えているようでした。

だから、「介護ベッドはもういらない。返そう」

そういうことなんだと思います。

 

父はといえば、「痰の吸引が痛いんだ。あれはイヤだ。だから家に連れて帰って」。さんざん母に文句を言う割には、いや、言えるからこそなのか家に帰りたがっていました。

母は「家には痰をとる機械が使えないんだよ。痰が落ち着くまでは先生がいいって言わないよ」となだめています。

 

これまで、「せめて夜間の交代でも」と母に言ってみましたが、「やってもらうことがない。それよりおかずの作り置きをしてくれた方が助かる」ということでそのようにしてきました。

おそらく、台所に家族以外が立ち入るのがイヤなように、介護も他人に任せるのが煩わしいのでしょう。任せるにはそれなりの準備も手数もかかりますから。

 

もちろん、必要であれば痰の吸引も指導を受け、本人が帰りたいと言えばそうしようというご家族もあるでしょう。父だけでなく、母の意向も考えると、そう簡単に決められるものでもないです。

 

「最後をどこで迎えるのか」は本人の意向だけでは決められないし、どういう状況を良しとするかも人によって考えは様々でしょう。その時々の家族の置かれている状況にも左右されます。

最近エンディングノートが人気ですが、事前にできることと言えば、自分の価値観を家族に伝えることくらいで、必ず実現できるかどうかはまた別のことだよなあと思いました。

 

 

今回、主治医からおおよその日にちが切られたことで、父が今どの段階にいるのかがわかりましたが、手当を受けて落ち着いた様子の父を見ていると、そんなに短い時間しか残されていないのが不思議です。

 

 

救急搬送

11:20~25頃

ショートステイ中の老健から、電話がかかってくる。 

父は最近、痰の量が増えたかな?と思っていたのが、その日は特に息苦しそうで、血中酸素濃度が95?→50台?(正確に覚えていない)になったということで、いつも入院している病院へ搬送したのこと。

 

正直、その数字が何を意味するのか分からなかったのだけれど、老健の担当者さんの声の調子で、あまりよくないんだなということが伝わってくる。母が留守中で連絡が取れないらしい。

 

その時ちょうど、私はおやつのような早目のお昼のような食事を済ませた直後。朝、ご飯が足りずにお味噌汁だけで済ませてお腹がすいてしまったので、いつもより早くご飯を炊いていた。

 

実家に電話をしても、母の携帯に電話をかけてもつながらない。買い物?

 

11:40

大慌てで身支度をし、バッグをひっつかんで家を出る。入院の支度や保険証もいるかもしれないので、まずは実家へ。後で聞いたのだけれど、弟(長男)に連絡が行ったのが11:30。

 

バスは時間通りに来ないし、自宅近くの駅前まで行ってタクシーに乗ることも考えたけれど、実家付近は渋滞しやすいので迷わず自転車を選択。20分で行けるのでタクシーより早い。

 

途中、母から着信。

 

父の保険証や診察券を持っているということで、出先からタクシーで病院へ行ってもらうことにする。

 

しばらくすると、また母から電話。自転車なんだってば。「(実家&病院の)最寄り駅に行くなら、家に行って洗濯物と布団を取り込んできて」もう!確かに天気はいいけど!

 

で、実家の物置に自転車を放り込み(庭先だと盗られる)、いろいろ取り込む。母の携帯に「入院準備は必要?」とショートメールを送ると「いらない」と返ってきたので駅前のタクシー乗り場へ向かう。タクシーの呼び出しは、駅へ行くより遅いこともあるから。

 

12:13

駅へ行く表通りへ出ると、踏切待ちのタクシーが止まっていたのでつかまえる。すぐ左折すると病院への近道だったこともあって、最短時間で病院へ行けそう。

 

新設の救急棟がわからなくて、旧館の受付で病棟ロビーへ行くように指示されて待っていたけれど、母と連絡を取って救急棟のロビーへ。ここで母と合流。救急医と母の面談は終わっており、処置が終わるのを待つ。

 

12:41

「お子さんがいらっしゃるのなら、顔を見せてあげた方がいいでしょう」ということだったので、弟2人に電話。

 

処置が終わって、病棟へ移動する前の待機室のようなところに案内される。「お父さん」と声をかけると、目を開ける。酸素マスクと、リンゲル液?の点滴。母と二人でベッドの傍らで少し話しかけたりする。

 

病棟の受け入れ準備を待って、母は入院手続きへ。私は入院時の提出書類(アレルギーの有無や自立の程度など)を記入。

 

病室へ入った後、母と荷物の整理をしたり、父と少し話をしたり。寒がるので追加の布団を借りたり。ひととおり済むと病棟ロビーで待機。担当看護師より看護計画書の説明を受け、たくさんの書類にサインをする。

入院時に揃えるものの説明を受ける。今回はテープ式の紙おむつが必要。

 

14:30

弟(長男)到着。父と少し話した後、ショートステイ先の老健へ置いてきた私物を取りに行く。

 

15:20頃

弟(次男)夫婦到着。偶然二人とも休みだったので来れたとのこと。

 

15:40頃

病棟の医師から状況説明を受ける。心臓マッサージや人工呼吸などは行わず、緩和ケアを行い、状態が良くなれば転院が必要と言われる。明日急変するかもしれないし、持ち直す可能性もありますとのこと。

 

説明の後、もう一度病室で一人ずつ父と話をする。先日長男が設置したトイレコールがいたく気に入ったらしく、延々と「あれは便利だ」などと話し出し、「呼び出しスイッチ(片手で握れるくらいの大きさのもの)を家から持ってきてほしい」。

 

え?病院にはナースコールがあるから、使えないんだよー。病室でスイッチ押しても鳴らないよー?

 

何かを握っていたかったのか、本当にトイレコールを使いたかったのか、すぐに母を呼び出したかったのかわからないけれど、枕元のナースコールのスイッチを握らせたら納得した?らしい。

 

16:00頃

翌日主治医との面談を予約。泊り看護の要請もなかったので帰宅。

 

自宅にいる時は、思うようにならない苛立ちとか、無理に飲食させようとする母と衝突したりとか、文句を言ったり怒ったり、あまり自分の残り時間が少ないとは思っていなかったようなのですが、

 

今回はさすがに苦しかったらしく、病棟の先生が、「〇〇さーん、ご気分どうですか?」と聞いたら、「(もう自分は)あぶない」。他人事みたいに明るく言うので、なんだか笑っちゃったんだけど、自分からそういう類のことを言ったのは初めてだったので泣きそうになりました。

 

レンタルしていた介護用品の電動座椅子、もう使わない(使えない)ので返そうかという話を母としていたのですが、「介護ベッドも返そう」と言うのにはちょっと違和感を感じました。転院するにしても、候補の病院の受診をしていないので、いったん帰宅の可能性は無いのかなと思ったので。

 

その辺は、主治医と母との話でわかることなのですが、それは次回に。

 

 

 

 

 

最悪の事態を想定~がん相談支援センター

 先週、母が病院に在宅医療(医師の派遣)の申し入れに行ってきました。今回も私は同席していなかったので、母から聞いた間接的なお話であるとご承知願います。

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父が治療を受けていた病院は、地域のがん診療連携拠点病院と言われるところで、2次医療圏と呼ばれる、近隣市町村の中心的な役割を担う病院です。

 

1次医療圏:市町村単位。一般的な疾病の診断・治療。いわゆる”かかりつけ医”。

2次医療圏:疾病予防から入院治療まで幅広く地域住民の保健医療をカバーする。複数の市町村が対象。

3次医療圏:都道府県単位。高度で最先端の医療を提供する医療圏。

 

前回は父の状況と、これ以上の医療的なケアは無いこと、その病院に緩和ケア病棟は無いことの説明 を受けました。 

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その説明を持ち帰って父と話し合った結果、在宅で介護を続け、定期的な医師の派遣を受けることに。その旨を病院に伝えに行ったそうです。

 

そこで、緩和ケア担当の医師から、

 

「在宅で介護すると言うのはいいでしょう。でも、あなた(主介護者である母)に何かあったときはどうしますか?」

 

と尋ねられたそうです。母がストレス性の高血圧で、救急搬送を含む診療を受けていることも、訪問看護師からの連絡で分かったうえでのことです。

(注:ここの訪問看護は、病院に併設の訪問看護ステーションであるから連絡が密なのか、他の訪問看護ステーションでも同じなのか、そこまでは現時点ではわかりません。)

 

母は、父がこの病院に対して大きな信頼感を持っていること、近所にあるホスピスで有名な病院については、父の意識が「ホスピス=入院したら帰れないところ」← それはそうなんだけれど、ホスピスの意味をほとんどわかっていないらしい

の為、他の病院への転院は難しいだろうということを伝えました。

 

そこで、必要な時は情報提供をするので、2か所ほどの地域の病院であらかじめ受診しておくのはどうかと提案されたそうです。そういったことも含めて、がん相談支援センターがサポートすると説明され、担当者も付いたとのこと。

 

幸い、母が持病の薬を変えたのが体に合ったらしく、最近ではずいぶん楽になったようですが、私が心配していたのもそこ。緩和ケア担当の医師は「最悪の事態」という言葉こそ使わなかったものの、要はそういうこと。

 

今の問題解決だけでなく(それだけでも手いっぱいなのですが)、少し広げた視点で主介護者も含めたケアをしていただけること。現状の介護保険制度や医療制度に不満の声を聞くこともありますが、なかなかありがたい制度です。

 

介護に関しては、介護用品一つとっても、制度のことにしても、わからないこと、知らないことも多すぎるため、ケアマネさん、介護施設のスタッフ、看護師さん、お医者さんにその都度聞くのがよさそうです。

 

現状はどうなっていて、自分は何に困っているのか。

 

そういうことを周囲に伝えることからスタートするんだなというのが、傍で見ている私の実感です。