Aさんへのイライラから気が付いたこと
先日の記事。
Aさんに対してのイライラはおさまったので、改めて「なんでまたあんなにイライラしたんだろう?」って考えてみました。
Aさん自身の詮索好きなことなど、性格的なものは変えようがありません。せいぜい、「そういう言動をされると、私はあまりいい気持ちではない」と伝えるくらい。それさえ、仕事にかこつけて言わなかったんだけど。
今では、「そういうところも含めてAさんなんだなあ」と思っています。以前より自分のほうが気持ちの距離を置いた感じ。苦手なことには変わりなし。
そんなAさん、「聞いているようで人の話を聞いていない」こともあります。たぶん、私はこれが一番イラッとしたんだと思う。
やろうとしてうまくできないのと、全然聞いていないのでは違うんだけど、「説明して、”わかった”って言ったんだから、「聞いていないからできない」体(てい)をするのは違うでしょう?と。
でもね、それって自分の勝手な思い込みでもあるわけで。
伝わらなかったのは、自分の伝え方に工夫が足りなかったのかもしれないし。
一度にたくさんのことは覚えきれなかったかもしれないし。
こんなあんなを含めて「Aさんの所為」で片づけることもできるけれど、それでは何にも解決しない。
何より、自分自身がそこで思考停止状態になっちゃって、先に行けない。
振り返ってみると、似たようなことってよくあって、結局のところ
「自分は悪くない。悪いのは自分以外の何か」
にしたいだけだった。
他人とか、環境とか。
子育てしているから。
夫が、親が「○○しないと」と言うから。あれができない。これができない。
実際、物理的に本当にできないこともあるかもしれないんだけれど、それっていろいろ試してみたっけ?
「自分は悪くない」って、結局は自分を安全地帯において置きたいんだーって気が付いた。
「自分はやることやっているのに」とかね。本当は完璧になんてできないからアヤシイのに。まじめな人、几帳面な人の心理って、案外こんなところかもしれない。
私は元々ずぼらな方なんだけれど、母が超絶神経質なので影響されているところもあるかも。うわー
もう50過ぎですよ、奥さん。いつまでも母がーとか言う歳でもないでしょう。
ってことがわかったので、仕事することで自分が成長できます。
今日のところは以上。