自分のためだけの楽しみ
別々の部屋に居ても、人の気配というものは感じられるもの。
自宅療養中の夫も最近ではだいぶ顔色も良くなり、今も自室で医師との面談のためのメモを作成中。
なかなかウチを出ていかない長女も、「自分の部屋に籠っていても、家族がいる家は安心できるし、寂しくない」ということらしい。
「気配だけならいいじゃない。ずっと相手をするわけではないんだし」と思われるかもしれない。
でもいきなり作業を中断させられたり、背後に立たれると不愉快な場合というのはあって、家族が家に居ると意外とできないことがある。
- トイレ掃除
- ブログを書く
- ノート(日記のように個人的なこと)を書く などなど
気持ちを切り替えて、こういう時だからこそできることを楽しむといいんだけれど、習慣というのは急には変えられないもの。
今までずっと「一人で」「家の中で」気ままに過ごしていた時間が無くなると、地味にストレスが溜まるんである。
昨日、一人で電車に乗っている時にふっと、「子どものためでも、夫のためでも、親のためでもなく、仕事のためでもなく、自分の遊びのためだけにお出かけしているんだなあ」と気が付いて、じわーっとあったかい気持ちになった。
よくよく考えてみると、結婚してこの方、「自分だけの楽しみのために外出する」ってあまりなかった。勉強会や仕事で外出はあったけれど、「自分だけの遊びの時間」ってあまりなかったような気がする。
そんなわけで週に1度、ピアノのレッスンのために2時間ほど家を空けることが、思いのほかリフレッシュになっている。教室からは大型書店も百貨店も近いので、気が向けばもっとお楽しみも追加できる。
ただ単にピアノを習うためだけなら、家の近所で探すこともできたかもしれない。思いがけず他の楽しみもできたので、今回の選択は正解だったと思う。
毎日ピアノに向かうのが楽しくて仕方ないのに、出かけるお楽しみもプラス。うん、なかなかいいぞ。