無意識に自分を責めていたことに気づく
先日のこの記事。
仕事で疲弊した人にありがちなのが、自分を責めること。夫がそんな風なのを見て、なかなか辛いものがあるなあ、そんなに思い詰めることないのになあ、とか思っていたわけですが。
自分だってそうじゃん!
いや、普段は忘れているし、口にも出さない。もう昔のことなんですけれど。
私が節約だ!貯蓄だ!って闘志(何に対してだ。投資じゃないのか)を燃やしていた頃。「私はガチで守銭奴よ。他人が何と言おうとお金を貯めるわ」って思っていました。
自分がやっていること=世間様はバカにすること
っていう意識。自分は好きでやっているけれど、世間からはあまり褒められない(と当時は思っていた)ことをやっているという自分Disりを、今だにやっていることに気が付きました。
それ、いつまで握りしめているの?
ことの発端
今では考えられませんが、「節約=お金に困っている人がするもの」と思われていた頃です。バブルのころか。
実際、我が家は笑っちゃうほどビンボーだったから、当たっているんですけれど。お風呂の残り湯を洗濯の予洗いに使ったり、寒い時には厚着をしたり。見栄でお金を使わなかったり。そんなもんです。
さすがに公園で水を汲んだりはしていませんが、オシャレでもスマートでもなかったです。
すると、外野がいろいろ言うわけですよ(それも資産家でもない人が)。
「ケチケチしてお金を貯めてもねえ」
「お金より大事なものがあるよ」
もうすぐ子どもが生まれるし、妊婦検診(自費診療)にもカツカツだったから、お金はいくらでも必要でした。
少しでも貯めないと、保険で対応できないようなダメージもいろいろあるものです。例えば、交通違反で罰金!とか。万単位だからその月の貯金が吹っ飛ぶけれど、生活費に食い込むのはかろうじて防げる。
他所様はそれくらいなんともなかったのでしょうが、ウチにとってはダメージ大。
だから、最初は周囲を見返してやる!みたいな意気込みだったです。結婚何年目だか、貯蓄1,000万円を達成したときは思わずガッツポーズしましたね。
双方の実家からは離れていたので、節目のお祝い金などはありましたが、結婚費用やマイホーム資金、生活費の援助などは受けていません。
いや、援助を受けるのが悪いってことじゃないですよ。ウチが依存したくないなーと思っているだけで。可愛げないです。
世の常として「お金を出す」と「口を出す」はセットです。それはご免蒙りたかっただけ。
どうかすると、お金も出さずに口を出されることもありますけどね。
で、今は?
節約自体は不要になりました。ただ、お金を使う時の満足感だとか楽しさは意識しているので、これまでとそんなに使い方は変わってはいません。
大体、首都圏に住んで都内で収入を得ている時点で、貯めることについてはアドバンテージがあります。生活費も都内より安いし、その割にインフラは整っているし。通勤時間は多少かかりますが。
昨年は交際費などでかなり使いましたけれど、環境が良かったのか、株式や投信の含み益で増えた分の方が多かったですし。
気持ちの余裕も得られるようになりました。
確かに、カッコ悪くてジタバタしていたかもしれないけれど、そこまで卑下することでもないわー。
「威張ることではないけれど、健闘しました!」ぐらいは自分に言ってやりたい。
「昔の思い込みは放置しているとそのまま残っている」というお話でした。