四十九日法要
2月3日、節分に父の四十九日法要を行いました。本当の49日目はもう少し後なのですが、身内が集まれるのは週末なので、前倒しで日にちを決めるのだそうです。
死後、7日毎に審判を受け、四十九日ですべての審判を受けた魂が成仏する日と言われています。
当日必要なお供え物やお花は、お寺に確認したのが1週間を切ってから、当日の荷物持ちの分担も前日夜になってしまうなど、母も疲れが出たのか頭が回らない様子。
最近では自分一人で抱え込まず、長男や次男嫁などにうまく頼むようになったんですけどね。
出がけに何かと、「ガスの元栓は(閉まっている)?手袋どこにやったっけ(バッグにある)?あ、マスク忘れた(バッグにある)」など一人でワタワタすることが多くなってきたような気がします。
法要自体は1時間足らずで終了。宗派の盛んな土地とはあまりご縁もないそうで、母は違和感を持ったようです。急な葬儀の流れで、檀家でもないのに特定の宗派のお寺さんを紹介いただくのですから、仕方のないことではあります。
さて。
さんざんわがままを言いながらも、病気には黙々と向かい合ってきた父を傍で見てきて、「人間は何も持たなくても堂々としているもの」と感じました。親は親で一生懸命生きていれば、子どもはきっとそこから何かしら学べる。
これと言って、他人に自慢できることがなくても大丈夫なんだ。最大の開き直り?
旧暦では立春が歳変わりの日とされています。節分は大みそか、今日は新年最初の日に当たります。2月に入ってからは弔問客もなく、四十九日は家族にとっての節目でもあります。
父に見守られながら、気持ちも改めようと思います。