「合理的な人」は借金をしないのか?
続きです。
いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学 (早川書房)
コストパフォーマンスって考える?
暑い日にビーチで寝転んでいる。飲み物は氷水だけ。キンキンの冷えたお気に入りのビールがあったら!そこで友人が提案します。
[小さなさびれた食料品店]
[高級リゾートホテル] で、ビールを手に入れてくると提案します。友人は、「ビールの値段は高いかもしれない。いくら払う気がある?きみの指定する値段以下だったら買うよ」と言います。あなたは友人を信用していて、バーテンダーとの値段交渉の可能性はありません。あなたはいくらまでと彼に言いますか?
この問いに対して、裕福な回答者と貧しい回答者では違いがみられたそうです。裕福な人は、
同じビールに対し、高級リゾートで買うほうが多く払うのだ。
では、貧しい人は?
彼らが払ってもいいといった金額は、二つの状況でかなり近かった。
状況が変わっても、自分がビールに対して支払ってもいいと思える金額は、そう変わらないということです。
私にも思い当たりますが、「この商品に1000円は払わない」とか、「同じ金額を出すならこうする」とか、「この商品ならA店よりB店のほうがいつも安く買える」など、一定の金額に対する自分なりの尺度があるってことですね。
よく、「コスパがいい!」とか言います。
「お金を有効に使う」「お金の価値がわかっている」「合理的に振る舞える」ことは特殊なスキルだそうです。ふむふむ。いいんじゃない?
逆に懐が豊かな人は 選択する必要がないので、自分の欲しいものがあるならどこで買ってもいい。1000円の商品が1500円だったとしても、自分がそれでよいと思えば迷わずに買うでしょう。
合理的に判断=欠乏状態に陥らない ではない!
では、このような「お金の物差し」「コスパ感覚」を持っている人が、欠乏で困った状態にならないかというと、実はそうでもないんだそうです。
なぜ人は何かが欠乏した状況に直面すると借金をするのだろう?トンネリング(注:視野狭窄)を起こすからだ。
上記のビールを買うときには、経済的に合理的な判断ができる人でも、欠乏状態では、「現在の借金が将来の利益を生む」という判断をするわけではない。
なぜなら、目先の支払いを何とかするためだけに、「借金」をするから。
で、それは本人に我慢強さがないとか、自分に甘いとか、金融教育を受けていないとか、高利貸しが悪いとかそういうことじゃないらしい!
実験で人工的に以下のような欠乏を作ります。
- 制限時間内にクイズの答えを競うゲームで、最初の持ち時間が多いほうを「富豪」少ないほうを「貧民」とする。正解するとポイントが加算される。
- 利子付きで時間を借りられるオプションがある。1秒借りるごとに合計時間を2秒引かれる。残った解答時間は貯金することもできる。
数ラウンドゲームをしていると、最初のほうには「貧民」は「富豪」より成績がいい。ゲームに「集中」しているから。しかし、ラウンドが進んで持ち時間が減っていくと、時間を借りてプレーするように。
プレーを続けることに「集中」してしまって、借りた時間を返済することや、その後の集計結果がどうなるかなんて、意識の外へ行ってしまうんですね。
つまり、合理的であろうがなかろうが、目先の欠乏をどうにかしようと切羽詰まると、後先考えずヒトは「借りて」しまう!
目先のことにとらわれすぎないために
うーん。
これを防ごうと思えば、
- 金銭的な余裕
- 時間の余裕
- 先のことを考える気持ちの余裕
を、いかに無くさないようにするかですよね。特に、「気持ち」は実際に関係ない本人の感じ方次第だから、ここで欠乏感を持ってしまうと不要な「トンネリング(視野が狭くなる)」を起こしていい結果にならない。
世間には「〇〇破綻」「〇〇貧乏」「〇〇不安」など、確かに考えなければいけない問題もあるけど、過剰に不安を持たないようにするのも必要なことなんじゃないかな。