バイトを終えて
今日で、3月末で契約の切れる仕事が終わった。
仕事開始が1月の終り頃。父の四十九日の少し前で、本当は年明け早々の勤務開始を打診されたのだけれど、理由は伏せて開始を遅らせてもらっていた。
父が比較的穏やかに逝ったこともあり、深く悲しみに暮れるというわけではなかった。でも何となく落ち着かないのに、自分から積極的に何かをしようという気にはなれなかった。
静かなところで、自分も動きを止めてしまったような感じがした。心から楽しいことなんて、忘れてしまって思い出せない。無気力ってこういうこと?
仕事が始まると、否応なく新しい環境に放り込まれた。新しい同僚、毎日押し寄せる仕事、ピーク時には飛び交う怒号や罵声。
そんな中で、いろいろな場面で様々な立場の人を見た。
ハードな局面でも冷静さを失わないこと、誠実であろうとする人、笑いを忘れない心、さりげなくガス抜きをする思いやり、心のこもった労りの言葉を発することとはどういうことか、他人の美点を見抜く人etcetc
自宅に一人で居ては見えないものが次々と目の前に現れる。毎日毎日仕事の一方でそういうことがどんどん目に入って来る。それも一種の刺激で、勉強だった。
いつの間にか、「自分ならどうする?」「自分には何ができる?」ばかり考えるようになった。全体の運営では、大きなトラブルもクレームもなかったらしい。
最後は、同僚と打ち上げをして大笑いで締めくくった。楽しかった。この中にはもう2度と会わない人もいる。
仕事は組織の上部の意向で毎年方針が変わる。人員は減らされ、少ない時間で多くの作業をするよう求められる。だけど、それを個人にばかり押し付けるのではなくて、作業手順や書式や、現場のレイアウトなどを柔軟に変えていく。
「これは誰それが決めた手順だから、それを変えることはその人の顔をつぶすことになる」という、馬鹿げた忖度は一切ない。それが小気味よい。
目的達成のため、毎日試行錯誤しながら変化する。ミスしてもカバーすればいいし、それが本人ではなくてもできる誰かがやればいい。
たぶん、こういう職場はあんまりない。で、私はこの仕事が好き。
父が亡くなって100日。
この冬は一度も風邪をひかず、インフルエンザにも罹らなかった。お父さん、私ずいぶん元気になったみたいだよ。