空の見える窓から

50代、主婦。ミニマリストになりたい。

12月20日 お別れ

世間がクリスマスで賑わっている24日・25日は、父の通夜、葬儀・告別式がありました。年末年始のおめでたいムードに水を差すかもしれないのですが、20日当日にあったことを、覚えとして記事にしておきます。

 

今でも印象深かったのは、「やはり教科書通りでないこともあるんだなあ」ということ。何せ初めてのことで、傍で見ていても、息を引き取る瞬間というのはわからなかったです。

心停止の後の、呼吸しているかのような口やあごの動き、湿らせたガーゼに反応して口を引き結んだり、水を飲みこんだり、目をぎゅっとつむったりすることが「反射」と言われても、専門的にはそういうことなんだとしか思えなかった。

 

弟たちは間に合いませんでしたが、母は「子どもたちのうち、一人でも間に合ったのが良かった」と安心したように言っていました。入院と言う形で病院での看取りになった以上、「人目のない時にひっそりと亡くなるかもしれない」ということを、母も私も覚悟していたからです。

 

当日、家族のバタバタしている様子がわかると思います。最近は自宅に戻らずに直接葬祭場に預けられることもあるそうですし、ある家族の一つの例として関心のある方のみお読みください。

 

 

 

 

 

 

午前7時56分

実家より電話がかかって来るが出られず。

 

7時59分

病院より連絡があったということで、母から電話。「支度してすぐ出ます」と返事。

今日は在宅勤務の夫がゴミ出しに行っていたので、身支度。戻ってきたので「これから病院へ行く」と伝え、洗濯物を干す。

夫が職場へ連絡してスケジュールの変更をし、カーシェアの車を確保して病院まで送ってくれる。

 

8時22分

カーシェア駐車場を出発。

 

8時45分

病院着。病室の廊下で母と合流。

母と二人で父に話しかけたり、手を握ったり。昨日と同じように、体温が低い。尿が出ていない。

看護師さんが血圧と体温を測りに来るが、血圧は測れなかったらしい。体温計が冷たかったのか、違和感があったのか、口を開けて呼吸をしていたのに、キューッと一文字に口元が引き締まる。

数日前から希望を出していた個室への移動を改めて母が申し出る。

主治医の回診。

 

9時40分ごろ

個室への移動の為、病棟ロビーで母と待機。数分で、看護師さんが慌てて呼びに来る。正確には何というのか、心拍数などをモニターする機械のアラームが鳴っている。父はまだ口で呼吸をしている(ように見えた)。

「お父さん、明るいお部屋でびっくりしたの?」などと声をかけているうちに別の看護師と医師が来る。

 

9時50分

「心停止です」。

 

まだ弟ふたりが到着していないため、医師による(死亡)確認はそれからということになったけれども、すぐには理解できなかった。だって、まだ口を開けてのどが動いていて、息をしているようにしか見えないのに。

体だって、まだ温かいのに。

呼吸をしているように見えるのは、筋肉の反射らしい。

 

母が、ガーゼを水で湿らせたもので唇をぬぐうと、冷たいのか口元を引き締めた。ごく少量を口の中に垂らすと、飲み込んだ。

少し後に私も同様にすると、やはり飲み込む。

 

涙が出ていたので、水で絞ったティッシュで拭くと、冷たそうにきゅっと目を閉じる。これも反射?

 

しばらく見ていると、次第にのどの動きも小さくなっていき、やがて動かなくなった。よく、「息を引き取って終わる」と言うのに、それらしいことはわからなかった。たぶん、呼吸と呼ばれるものはずっと前にもう終わっていたんだろう。

 

10時34分

呼吸(に見えるもの)が止まる

 

10時38分

のどの動きが止まる

 

 

 

11時ごろ

母は血糖値のコントロールをしているため、毎日決まった時間に食事を摂らないといけない。弟たちが来ないので、死亡確認もできない。

いつも持ち歩いているアメを舐めているが、昏倒すると危ない。院内のコンビニでサンドイッチを買ってきてとりあえずの昼食。

弟たちが来るまでの間に、夫にも食堂で昼食をとってもらう。

 

食べているところへ主治医の先生が来られる。『よくこんな時に食べてるなあ』と思われたかもしれない。慌てて立ち上がるけれど、きまり悪いというか、やっちまった感あり。「かまいませんよー」とは言われたけれども。

 

「〇〇さん、よくがんばったね。お疲れさまでした」末後の水を飲んだことを母が伝えると、「お水飲めたんだ。よかったねえ」と声をかけてくださる。

毎月の抗がん剤治療の入院期間があって(その期間に休むことができて)、やっと母による介護が成り立っていることや、父の治療に対する要望など、よく理解して親身に治療していただいた。がん再発後の見通しも、非常に正確で、家族の心の準備ができたことも、この先生のおかげ。

 

 

11時50分

家族が全員揃ったところで、医師による死亡確認

 

その後、看護師さんによる着替えと整容。急なことで用意がなく、病院のコンビニへ浴衣を買いに走る。というか、わかっていても待ち構えているようで用意なんかできない。

 

最後にメイクをするときに、母と私が呼ばれる。

点滴や酸素マスクが外され、さっぱりとした浴衣姿はほんの少し前の病衣姿より、ずっと気持ちよさそうに見えた。

母と二人で父の顔をお湯で絞ったタオルで拭く。メイクは看護師さんにお任せ。男性でもファンデーションを塗り、ごく薄く眉や唇にメイクをすることで、まるで眠っているように穏やかな表情に変わる。

 

その後、地下に移され焼香があるということだったが、実家で父を迎えるための用意をするために母と次男夫婦は先に帰宅。長男と私でそのまま病室で待機。搬送業者の到着を待つ。

孫のピアノ演奏会の動画をスマホで再生。

 

14時15分ごろ

搬送業者さん到着。ストレッチャーを病室に運び込む。看護師さん数人でベッドから移動。「〇〇さん、きれいなお顔ねえ」など、生きている人に対してと同じような声がけのありがたいこと。ガンコ者で有名だった父。本当にお世話になりました。

 

地下へ移動。主治医と看護師さん数名とともに、簡単に献花式(造花だったけど)。地下の霊安所って、冷蔵室みたいなところかと思ったら、和室の小上がりが2室ほどあるセレモニーコーナーになっていて、遺体をしつらえて簡素な献花台を置くようになっていた。

 

15時過ぎ

父を運ぶ車に同乗して実家へ。葬儀社の担当者さん2名でリビングに用意された布団に父を寝かせ、祭壇を設置。焼香。次男夫婦が買いに走った白い花々が大ぶりの花器にたっぷりと生けられて、父の枕元の寂しさも和らぐ。

通夜・葬儀日程、場所の決定。その他概要の確認。

 

16時過ぎ

近所のスーパーでお総菜など夕食の買い出し。リビングで父の話をしながら食事。いつもなら自分の家族の夕食準備のために帰るけれども、この日だけは母と兄弟が揃って父の傍で食事をしたかった。父は、みんなが集まって食事をするのが好きだったし。