最後の食事
父は、入院前日にショートステイに出かけたのですが、その日の朝食が「家で食べる最後の食事」になりました。
白粥・スプーン2杯
介護用レトルトおじや・1パック
味噌汁
いちご2つ
緑茶
ショートステイやデイサービスは出かける前に「行きたくない」「家にいる」などさんざんゴネて、デイなどはお休みすることもありましたが、その日は自分から行くつもりで早めに起き、食事をし、身支度をして出かけたそうです。
「食べたくない」「飲みたくない」という父に、顔を見れば「少しでもいいから食べて」「飲まないと脱水症状になるから飲んで」と口うるさかった母。
12月上旬時点では、1日1食または2食。1食目が朝食だと2食目が夕食、起きるのがお昼頃になって昼食が1食目になると、その日はもうおしまい。
大体そんなペースで、気が向かなければ拒否→母がうるさく言ってケンカ。
ここ数か月は本当に果物をよく食べた。水分が多く、軟らかくてカロリーもとれる。
プラム、梨、柿、軟らかめの干し柿、いちご。果物ではないけれど、トマト、アイスクリーム、あずきバー。
母以外の家族がいると、つられるのかいいカッコしたいのか割と食べるので、弟(長男)は週1、私は週1,2回顔を出して昼食を一緒に食べるようにしていました。
「〇〇が食べたい」というので、作ったり買ってきたりしても、いざ食事になると「それはいらない」ということもそりゃもう多かったそうです。レトルトの介護食なんて、それこそ見向きもしなかったらしいんですが、母が、
「これは、昨日〇〇(私のこと)が来た時に、『これなら食べれるかな』ってお父さんのために作ったんだよ」と言ったら完食したそうです。
それが、上記の最後の朝ごはんのなかのおじや。
嘘も方便といいますが、これがきっと「ついてもいいウソ」なのかな。
母はその時のことを何度も話すのですが、
「家にいる間は、最後まで食べさせることができてよかった」
「食べさせてから家を出られてよかった」
「それだけは後悔しなくて済む」。
ショートに行ってからの食事内容はわからないのですが、「何も食べずに送り出したら、後悔したと思う」と言っていました。
これ、食べさせるのが後悔のない介護と言っているのではなくて、それは人によって違っていて、たとえば、「毎日清拭して着替えさせる」とか、「きちんと歯磨きする」とかあるのだろうと思います。
私はどちらかと言えば、飲食を無理強いはしたくない方だったのですが、主介護者である母が満足していて、父が精神的に追い詰められていなかったのなら(少しは負担だったと思うけど)まあ、そういうのもありなのかなと。
最近読んだ、とある看護師さんによれば、「喋ることができれば、食べられる」そうだし。
今、父は点滴のみで飲食はしていないのですが、昨日、重湯やミカンは食べられるか看護師さんに聞いたところ、「医師に確認します」とのこと。
そう、喋ることはできるけれど、今度は誤嚥の心配をしないといけない。もしできるなら、口に含んで飲み込まずに吐き出すのでもいいんだけどなあ。
よく、「死ぬ前に食べるとしたら、何が食べたい?」っていうけれど、どの食事が最後になるのか、わからないことだってある。父だって、ショート先から入院して食べられなくなるなんて、ましてや出かける前の食事が最後だったなんて、きっと考えてもみなかったんだろうと思う。
食べたいものがあったら、「いつか」ではなく、元気なうちに食べておくのも大事。
そんな風に感じました。