空の見える窓から

50代、主婦。ミニマリストになりたい。

「最後をどこで迎えるのがいいのか」は人によって違うと思った件

何から書いたらいいのか。 

fukulife.hatenablog.com

 

今回父は、ショートステイ先の老健さんから病院へ運ばれました。老健はリハビリを目的とした施設なので、看護師、理学療法士、医師など医療スタッフがいます。最近床ずれを作ってしまった父を、安心して預かっていただけるところでした。

 

血中酸素濃度の変化も、医療スタッフと設備があるからわかったことで、もし自宅でこのような状態になっても、家族には何がどうなっているかわかりません。おそらく24時間対応の訪問看護ステーションに連絡して、相談することになっていたでしょう。

 

もうほとんど水を飲まなくなった父は、尿もほとんど出なくなっていたのですが、ほとんど生理食塩水?の点滴のおかげで尿は出るようになり、入院翌日の昨日はずいぶん落ち着いた様子でした。

 

昨日、主治医の先生からこれまでの病状の経過を含めた説明を受けました。肺と肝臓、特に肝臓にがんが広がっている画像を見せてもらいました。

「もう家には帰れないでしょう」とも、これまでの治療期間中の母の様子(入院期間中でないと休むことができない)ということも分かったうえで、「在宅での看取りは難しいでしょう」とも言われました。

 

もちろん、在宅の看取りを否定されたわけではありませんが、母だけではなく相当の家族の手が必要であるとも言われました。

 

それ以上の説明はありませんでしたが、刻々と変化する病状を受け止められるか、冷静な判断ができるのか、「最後まで在宅で看取る」という強い意志があるのか。介護する家族の側にも相応の覚悟がないとできないんじゃないか。

そういう印象を私は持っています。

 

母の考えとしては、今までそうだったように、「無理だろうが食べたり飲んだりすればその方が体には良いだろう」です。だから、「点滴であっても水分が体に入るのはいいことだ。家では点滴や痰吸引はできないのだから、もう病院以外の選択肢は無い」です。

 

おそらく医学的には、「飲んだり食べたりできないのは、もう体が要求していない、受け付けない」ということなので、仮に家にいる時に今回のような状況であったとしても、自然に任せていいケースなんだろうと思います。

 

仮に看護師さんや医師の往診を受けながらだったとしても、もう母は父が苦しむだろう状況には耐えられない。自分のできることはもう無い。はっきりとは言わなくてもそう考えているようでした。

だから、「介護ベッドはもういらない。返そう」

そういうことなんだと思います。

 

父はといえば、「痰の吸引が痛いんだ。あれはイヤだ。だから家に連れて帰って」。さんざん母に文句を言う割には、いや、言えるからこそなのか家に帰りたがっていました。

母は「家には痰をとる機械が使えないんだよ。痰が落ち着くまでは先生がいいって言わないよ」となだめています。

 

これまで、「せめて夜間の交代でも」と母に言ってみましたが、「やってもらうことがない。それよりおかずの作り置きをしてくれた方が助かる」ということでそのようにしてきました。

おそらく、台所に家族以外が立ち入るのがイヤなように、介護も他人に任せるのが煩わしいのでしょう。任せるにはそれなりの準備も手数もかかりますから。

 

もちろん、必要であれば痰の吸引も指導を受け、本人が帰りたいと言えばそうしようというご家族もあるでしょう。父だけでなく、母の意向も考えると、そう簡単に決められるものでもないです。

 

「最後をどこで迎えるのか」は本人の意向だけでは決められないし、どういう状況を良しとするかも人によって考えは様々でしょう。その時々の家族の置かれている状況にも左右されます。

最近エンディングノートが人気ですが、事前にできることと言えば、自分の価値観を家族に伝えることくらいで、必ず実現できるかどうかはまた別のことだよなあと思いました。

 

 

今回、主治医からおおよその日にちが切られたことで、父が今どの段階にいるのかがわかりましたが、手当を受けて落ち着いた様子の父を見ていると、そんなに短い時間しか残されていないのが不思議です。