重なる出来事は、「認めたくない私」を隠すのに好都合だった件
このブログを始める動機の一つともなったこの件 。1年ちょっと前のことです。
この時の状況が
父:病気で入院。治療のために短期入院~退院を繰り返す
夫:勤務先の大規模リストラを見て、転職を考える
でした。
さらに今年は、
夫:転職するが、環境に慣れずストレスを抱える
母:父の世話で精神的な負担が増し、不安定に
弟:健康診断で要精密検査。短期入院で手術
義母:内科系の手術で入院・手術
と、「どうして一度にこれだけのことが重なるの?」という状況でした。
今年はともかく、去年は自分でも「フルタイムで思いっきり働こう」としていたところだったので、なぜこんなでっかいブレーキがかかるのか、訳が分かりませんでした。
ともあれ、私は子と夫のフォローで精いっぱい(特に子の方)。特に最初の4か月は手探りだったため、神経が磨り減る思いでした。
「自分を大切にする」って何?
違う目的で読み始めた本で、自分が余裕をなくしていることを発見。「自分を大切にしましょう」という、私にとってのキーワードが出てきます。
「自分を大切にする」という言葉から、とあるセッションを受けることになり、
今起こっている出来事は、自分に好都合だから起こっているとわかりました。
最初は、
- せっかく資格も取ってこれからっていう時に!
- これだけ時間のかかるいろいろなことが、私の望んだこと?
- 私が家族の不幸を望んでいるってこと?
と、とにかく最初は反発心で受け入れ難かったです。
それでも、じっくり自分と向き合っていくうちに、
- 私には人に与えられる知識がない
- 実力が無くて恥ずかしい
- 人前で話したくない(以前大失敗をしたことがある)
- これといった「売り」「差別化」ができない。それ以前に自分で「これをやりたい!」といえるものがない
と、よくもまあこれだけ「ないない言えるなあ」がたくさん出てきて、挙句の果てに
- できない自分は、見たくない
という本心が出てきましたですよ。じゃあ、これをまるごと世間からも隠し、自分で見えないようにするにはどうするか?
家庭内(世間に見えないところで)のあれこれで手を取られる
しかないじゃないですか。私の願いは100%叶っている!
できない自分を認めたら
今ではもう、出来が悪かろうが、性格が悪かろうが、どんな自分も自分だと認めたので、すっかり気持ちが楽に軽くなりました。
で、現在の状況
父:治療継続中。薬を変えたことで食欲が戻り、顔色が良くなってきた。
母:父が訪問看護サービスを受けることで、精神的な不安が軽くなる。
自分の体の不調や、精神的な問題がないことがわかって落ち着く。
夫:会社にも慣れ、順調な様子。
子:再就職が叶い、働き始める。
義母:手術は大成功。予定より早く退院。
弟:予定通り退院。検査結果待ち。
と、偶然なのか、時間が解決しただけなのかはわかりませんが、ほぼ全部が良いほうに転がっています。引き起こされたのが願い通りなら、好転したのも願い通りと思いたい。
「自分を大切にする」ことを、きれいにまとめることはまだできないのですが、自分の本心から逃げ続けても、何も良いことが無いということだけは確か。
ただ、自分だけがやりたい放題するのではなく、世間との折り合いを付けながらというのがなかなか難しい点だなあと思います。
それを言うなら、家庭内で収まる私はまだ簡単な方かもしれませんね。