空の見える窓から

50代、主婦。ミニマリストになりたい。

「神社ミッション」じゃなくて「親とか親戚ミッション」

神社ミッションというのはやったことがないのですが、数年前から親とか親戚に「自分にしたらちょっと多いかな?」という額を渡すということをやっています。

 

↓ 神社ミッションについてはこちら。

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親とか親戚ミッション

 

最初は、私にまとまった額の臨時収入があったとき、ゲン担ぎで母にお年玉として7万円を渡しました。

ゲン担ぎなので、その時どんなことを感じるかをあまり意識しなかったのですが、相手は母ですから感謝の気持ちを込めました。

子供たち(母からすれば孫)をいつも気にかけてくれていたからです。

その後は無理のない範囲で5万円にしています。

 

渡した分のいくらかは、孫へのお年玉になったかもしれず、あまり意味はなかったのかもしれません。

 

親以外の親戚の時は、それほど行き来もないせいか、ご利益を期待しないのは神社ミッションみたいなものかもしれません。「神社という場所の雰囲気を経験する」といった点はありませんが。

甥っ子や姪っ子へのおこづかいなどは、高校生以上になるともう万円単位なので、出す段になると出費の痛みでチクッとします。

ただ移動の交通費もバカにならないし、発表会などではお祝いの意味もあるので割とすんなり渡しています。

 

複雑な思いの冠婚葬祭

 

ちょっと複雑なのは、冠婚葬祭のご祝儀や不祝儀。これは予算も取ってあるので一番すんなり出せるものでもあるのですが、必ずネットで相場を調べた上で、親族間での決め事を確認します。

冠婚葬祭では、ダンナ様に恥をかかせてはいけないというのもありますが、最近機会もあったのでじっくり考えてみたところ、

 

「ケチだと思われたくない」

 

っていう気持ちが出てきました。これって、「自分はケチだと思っている」ってことじゃないですか。自分ではそう思ってたんだ~ へ~

 

ついこの間まで、自分のためには使えなかった

 

あと、今年になってから自分のためにお金を使うようにしてきたんですが、それまではやっぱりどこかに「自分にはそんなに使っていないのに」っていう思いもあったみたいです。

「自分で好きに使うために働きたい」と言ったとき、夫とモメて多少こじれたこともあります。

どうして使えないか考えてみたら、「稼いでないから」。これって「稼いでない私には価値がない」ってことで、この考えは即改めました。 

fukulife.hatenablog.com

 

もしかしたらモメた時も、夫ではなく自分に「もっと使うように許可する」ことが先だったかもしれません。その時はそんなこと思いもしませんでした。

今では自分のお金も使うし、おこづかいはありがたく受け取るので、そういう点では以前よりお金をすんなりやり取りできるようになった気がします。

 

 

気持ちがザワザワするときは思い込みを見直す機会

 

よく、「お金持ちは寄付をしているから真似したほうがいいよ」とか、「親にお小遣いを上げるといいよ」(← まさに私はコレ)ってありますが、なーんにも考えずにやるのではなくて、「その時何をどう感じるか」に気を付けて、自分の思い込みを考え直すのが大事だったんですねえ。

 

気持ちよく出せない理由の一つは、見返りがないところに(見返りを期待して出すのがそもそもがめついですね)出すことがありますが、人間ではない神様(神社)にはたとえご利益がなくても「神様だから」出しやすいのかもしれません。

 

親や親戚へお金を渡すことにも、いろいろ感じる点があったというお話でした。