感情は無理には抑えられないのよ
おととしから去年にかけての頃だったか、心理学の勉強会に通っていたことがありました。
そこで、「自分も相手も尊重して会話すると、コミュニケーションがうまくいく」って習いました。で、自分の感情は棚上げして、仕事に応用してみたら、まずまず上手くいったんです。
でも、元々相手に良い感情を持っていないので、「相手のことを尊重し、かつ自分も尊重しながら話す」って、とてもとても苦しいんですよ。
相手だけではなくて、当時自己肯定感も低かったんです。
- 自己肯定感が高く、相手を尊重できる
- 自己肯定感が高く、相手を尊重できない
- 自己肯定感が低く、相手を尊重できる
- 自己肯定感が低く、相手を尊重できない
1.が理想的な状態。2.と3.はどちらか一方に対応すればいいのですが、3.のほうがより困難。話し相手が自分が好意を持てる間柄だと少しはラクなのかな。
4.は両方に対応しなくてはならないわけで、特に自分を尊重する=自己肯定感を高くするなんて、「ちょっとやそっとじゃできないんじゃないの?何の罰ゲームよ」と半泣きでした。
それほど、感情を押さえつける理屈とか正論には、ムリがあるんです。
じゃあ、どうして私がそこから抜け出せたのかというと、偶然。
自分のやりたいことを優先して、自問自答を繰り返していた時に、不意にわかっただけ。
それも、
「どうして自己肯定感が低いのか?」と考えていたわけではなくて、
「どうして自分のために、気持ちよくお金を使えないのか?」って考えていた時です。
どんな自分もそれは自分なんだと認めて受け入れる
自分と出会う感覚
自分とやっと出会えた
自分はここにいた
この時感じたのは安心感というよりは、悲しさ。
「なんでもっと早く気付いてくれなかったの?」
自分の欠点なんて重々承知。「無視しているわけないじゃない」ということが実は思い込みで、本当はそんな自分は要らないって思ってた。ひどいよね。
ここまで来てやっと、冒頭の「相手を尊重して会話ができる」にたどり着けるわけで、ここを外したら苦しいまんまが続いてたと思う。
だから、例えば「両親には感謝すべき」っていうのを頭ごなしに押し付けられたとしても、何かの理由で親とうまくいってない時だったら、これはムリ筋な話。
きっと、こういう「~すべき」っていうのが世間にはたくさんたくさんあって、それを受け入れられない感情があるときは、そっちを先に見たほうがいいんだろうなっていうことだけはわかった気がする。