結局は「決められない私」に対して「これでもか!」と決断を迫られていた件
昨日は非常に重たい記事を投下してしまいました。読んで気分を悪くされた方、ごめんなさい。<m(__)m>
落ち着いて考えてみたら、こういう状況っていうのは、私の勘違いを指摘してくれていたかもしれません。現に、去年のこの件。
その思い込みはもういらない!
4月上旬で上記の季節限定バイトは終わり。しばらくはゆっくり過ごす予定にしていたものの、ゆっくりしていることで出てきた気持ちが、
「長く仕事を離れていると、なまるよ?」
「働いて収入を得なくてもいいの?」
というもの。働かざるもの食うべからずというか、貧乏性というか。その割に、今後の方向性とかちっともまとまっていなかったんです。
約3か月みっちり働いた分、使うお金はあるから別に焦る必要はなかったんですけどね。
自分がどこにも属していない、何もしていないってことに落ち着かない気持ちできっとソワソワしていた。これが思い込みの一つ。
あと、自分がとった資格を生かして仕事を~とか考えていたんですが、そもそもこれって私が家を空けられなかった時期に、「家でできる興味が持てること」として始めたもの。
勉強自体が面白く、のめりこみました。
ついでに家計を大きく改善することができ、数百万~数千万円分のメリットがありました。主に独学や通信教育を利用したので、勉強そのものにかけた金額はそれほど多くはありませんが、時間とエネルギーはそれなりにかかっています。
そしてのめりこんだ挙句、目的と手段を完全に取り違えていた。普通ならまずやりたい仕事があって、それに必要な勉強でしょう。それをごちゃまぜにしたのが二つ目。
元々方向性が無いところに、目の前の課題がいろいろと面白くて気がついたらがけっぷちにいたというダサさ。
3つ目は、それまで細々とでも続けていた活動を止める決断から逃げたこと。表面上は自分で決めたようでも、自分の意志で始めてずっとやってきたことなのに、応援してくれた夫に「止めてもいい?」と相談したこと。私の勉強時間のために、家事をやってくれたのに、それを放り出す自分を許してほしかった。
ちがうよ、これ。いくら期待を裏切ることになったとしても、許されなくても、ちゃんと自分で決めて、自分でわかってもらえるように説明しなきゃいけなかった。
で、これらの底にあるのは、何かの役に立たない自分には価値が無いっていう意識。
ちなみに、夫は私が楽しんで勉強していることや、それを生かして収入につなげることは賛成してくれるけど、無理をして働くことには大反対。それで生活の質を落とすことになるのは本末転倒だと。
ほんとーに、わかっていないのは私だった。
いくら自分を労わっても、ここを外すとたぶん迷う
バイトの件で、自分のやりたいことに見て見ぬふりをしない、身の回りのことをいいかげんにしないとかで自分を労わってきて、かなりリラックスできるようになったのはとてもいいことに感じていた。
もう少しこのままでいようかと思ったら、どうもそうもいかなかったらしい。
ブログには書かなかったけれど、身内のトラブルはまた起こった。
最近、朝起きがけで意識がはっきりしないときに、唐突にいろいろと思い浮かぶことがあって。たとえばこんなこととか。
今朝目覚める直前に頭に思い浮かんだことは、
「自分を嫌いではないけれど、大好きかどうかはわからない。でも、今ここにいる私とちゃんと向き合おう。バカなこともやらかすけれど、それでもこれからもずっと幸せに生きていける」
「自分の人生も幸せも、他人任せにしない。全部自分で決める」
「他人にウケないかもしれないけれど、やりたくなったことは何かの形にしてみる」
自分の欲求を満たす、お金をかけるのはとても大事なこと。
でも、自分をちゃんと見てやらないと自分が悲しい。
よく、「自分探し」で旅行とか転職とか、そういうものが本当にやりたいならいいけれど、私の場合、「自分」は外の世界にいなかった。
足元に縮こまって隠れていた。
「この人と結婚する」という直感と同じように、降ってきたこの感覚抜きでは、私はきっとまたフラフラと迷いだすんだろうな。
読んでくださる方が少ないのをいいことに、好き放題書いた今日の記事でした。