怒りの感情はただの八つ当たりだった件
先日、とあることで行き違いがありました。一昨年住所が変わったので、某所から問い合わせがあり、昨年現住所を知らせておいたんです。
で、今年また「住所変更されていないようです」というメールが来ました。
私:「え、なんで?去年連絡したはずなのに?」「去年の連絡はデータベースには反映されていないってこと?」「これって来年もまた連絡が来るってこと?」「これは私が悪いの?(←誰もそんなことは言っていない・苦笑)」
ただの行き違いで、私はどうしてこんなに腹が立つんだろう?
怒っている一方で、「なんで私はこんなに起こっているわけ?そこまでのことでもないでしょう?」と言っている自分もいる。
今回のやり取りはメールだったので、一晩寝かせておいて、翌日頭が冷えてから連絡しました。基本メールは即返信がマイルールなのですが、怒りの文面で返信しそうだったからです。
それから、その気持ちをノートに書き出してみたんです。
ノートに書いて分かったこと
今の時点で自分が無職なのはその通りだし、納得しているのですが、「好きでやりたいことが見つからない自分が後ろめたい」っていう気持ちが出てきました。その連絡をくれた人が、好きなことで仕事をしていたから、余計そう感じたんでしょう。
ダサいなー 私。
で、好きでどうしようもないことなんて、感じることが鈍っている今、そんなにすぐには見つからないだろうなっていうこともわかっている。ここまで来て、「なんだー、これってただの八つ当たりだわ!」ってことに気がつきました。
後は連絡をくれた方も、仕事の傍ら係を引き受けてくださっている訳で、そういうことへ対する感謝の気持ちが全然足りない自分だったりとか。
これね、書かないと出てこないです。今のところ。
「自分ならこんなミスはしないのに~」とか、まるで見当違いなことを考えたりしてますからね。
「正義・正論をふりかざす⇒そこに劣等感が隠れている」ってこういうことなのかっていうのがストンと腹に落ちました。
こんな自分はイヤだ。ではどうする?
無我夢中になるような好きなことは、今すぐには見つからないだろう。それは仕方がないこと。でも、今家にいるからこそ時間を取ってできそうなことがあって、しばらくはそれをやろうと思っています。結構楽しめそう。
宙ぶらりんな状態はしばらく続くでしょうが、しばらくはこのまま行こうと思います。
自分の「好き」が見つからないからと言って、他人のミスにキレるような八つ当たりは
もうしません。たぶん。