人生は楽しんだもの勝ち!
こんにちは。
今日はこちらの継続コースのセッションを受けてきました。(今後メニュー変更があるそうです)
はじめてこのブログにお越しくださった方へ&提供メニュー一覧 - 「すみません、ただのオンナに戻ります」。
悩むのではなく、サインを見落とさない
9月の1dayセミナーを受講後、すっかり頭の中がいい意味でお花畑(=幸せを感じている)になっていたものの、自己肯定感は低いまんま。
すると、自分が本当にやりたいほうではなく、表面上の条件が比較的いいという理由で決まったバイトで何故か「先輩バイトさんにボロカスに言われ続ける事件」が発生。個人的な印象では、言いがかりとかモラハラとかそういうレベル。
いつもならここで、「ああ、仕事ができないからもっと周囲に迷惑をかけないように努力しなきゃ」って考えるところですが、今回は「自分の気持ちを見ないふりしている、大事にしていない」のかもしれないと思い当たりました。実際、仕事により集中しても、ボロカスでしたしね。
「あーこれって、もしかすると方向が間違っちゃったってこと?」と気が付いて、「辞めます」と次のバイトも決めないで申し出たのに、ちゃんと切れ目なく「本当にやりたい内容」の仕事が決まりました。
「自分のやりたいこと」を優先する
ものすごく今更感なのですが、「自分を大切にしよう」と意識して行動したのはたぶんこれが初めて。
今までは、同じような行動をしても「できないから逃げた」とか「弱いから逃げた」とかそんな捉え方をしていたように思います。で、「逃げた自分」⇒ 自己肯定感を持てない とかそんなループ。
今は、毎日がとても楽しいです。仕事ですから「くそォ!!」と思うこともありますし、失敗で凹むこともありますが、それも全部込みで楽しい。集中しているので気が付けば終業時間。
役割分担ははっきりと分かれていますが、「都合よく使われている感」もない。
で、問題はここから
「こんなにラクしちゃっていいんだろうか?」「フリーランスでやる仕事の準備をしなくちゃいけないんじゃないの?」
どこかで、「苦労して得たものにだけ価値がある」という思い込みが拭いきれなくて、気持ちに余裕が出ると自分でモヤモヤの種を探し出してしまう。
これはもう、止めることにしました。ジタバタしても、無理な時は無理だし。
私の母は、体調が悪いとすぐにかかりつけ医に行くのですが、どうかすると、「わざわざ心配の種を探しているような」印象を受けます。より詳しい検査で原因がわかることもありますが、たいていは取り越し苦労でストレスが原因のことが多い。
神経質であることで余計にストレスを増やしている気もしますが、そういう母を私は笑うことはできません。
キリスト教徒ではありませんが、好きな言葉
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり(以下略)旧約聖書:コヘレトの言葉 第3章より
ちゃんと、巡るべき時にものごとは巡ってくる(らしい)。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。旧約聖書:コヘレトの言葉 第3章より
太字のところは私が都合よく強調しました(笑)。
今回、うろ覚えだった聖書の言葉をネットで探していたら、続きもずっと掲載されていました。上記の太字部分を見て「聖書にこんなことが書いてあったんだ~」って正直ビックリです。
そう、人生は楽しんだもの勝ち!なのだ(バカボンのパパ風)。