【暮らしの手帖】中学校の美術室にあった生活雑誌
美しいものは、いつの世でも
お金やヒマとは関係ない
みがかれた感覚と、まいにちの暮らしへの、しっかりした眼と、
そして絶えず努力する手 だけが、一番うつしいものをいつも作り上げる (暮らしの手帖 創刊号から)
戦後あらゆるものがなかった時代に、「美しいものは、いつの世でも
お金やヒマとは関係ない」と言い切ってしまう力強さがとてもとても印象的。
今は、ありとあらゆるモノがあふれていて、お金さえあれば大概のモノは手に入ってしまう。
で、自分自身の豊かさとか美しさの物差しが、自分の外側にズレてしまっているのかなと思いました。
「人から見て好印象の服装」とか「人を不快にしない行動」とか「人に豊かさを認めてもらう持ち物」とか。
そういう基準は大切だけれども、それに振り回されてしまっているんだなあ。
なんか最近、世の中がギスギスしているような感じがするのは、家にいて楽しくない人がいっぱいいるから?
ミニマリストのいいところって、「何が自分にとって必要か」とか「自分が心地よくいられるには何が必要か」を自分の物差しで考えられるようになることかな。
中学生だったころを思い出した
私が中学生だったころ。
学校の美術室に置いてあった新聞や雑誌のバックナンバー。
朝日新聞日曜版は、おいてある理由がなんとなくわかった。絵本「花さき山」「モチモチの木」は小学生でもよく知っていたし。
でも週刊新潮は、おじさんが読む雑誌だし。
なんで美術室に生活雑誌?
中学生の自分がいかに”絵に対する感性”がなかったかがわかりますねえ。
バックナンバーをぺらぺらめくって、商品テストの記事は、夏休みの自由研究みたいで面白いなあなんて思っていました。
当時、母が読んでいたのは「ミセス」。当時は料理のページぐらいにしか関心がなかったけど、こちらはグラビアがたくさんの華やかな雑誌。 そういえば広告ありですね。
↑日曜美術館では、花山安治さんが手掛けた表紙や特集のイラストなどを紹介。デザインの視点からもステキさであふれていた雑誌だったんだなあ…
取材の姿勢もすごく厳しい。対象に寄り添って、その心情を切り取るような写真を撮ることへのこだわりがすごい。
あの時はそういうことが全然わからなかった。ああなんてもったいない!
これらの資料を集めていた美術の先生は、とっても怖い美術室の主。その先生の授業ってどんなだったんだろう。確か1年生の初めのほうで少しだけ習って、あとはほかの先生が担当だったっけ。